三谷紀美浦安・海に抱かれた町聞き書き 人と暮らし筑摩書房1995
娯楽の殿堂浦安にあり
漁師の口にあわせた味と心意気
金持ちもヤクザも同じ人間 花街の女将 熊川いくさん(大正11年生まれ)

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敗戦後の混乱の中、昭和21年、GHQの主導で公娼制度が廃止になりました。警視庁はもぐりの営業を防ぐために地図上の一定の地域を赤線で囲って、特別に売春営業を許可し、いわゆる赤線地帯と呼ばれるものが各地に出来上がります。浦安も例外ではありません。

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今の浦安駅の西側中道の原と呼ばれる県道が一本通るハス田だらけの土地に白羽の矢が立ちました。昭和24年、町の9人の有志その地区の一部に花街を作りました。当時そのあたりに住んでいた柳町さんという人の名前をとって柳町と名付けられました。長さ50mほどの路地が三本。その両側に「おしず」「仲よし」「福の家」「千鳥」「菊水」「ひげの家」「ハッピ」「大和」「おしげ」の九軒の遊廓が開店営業し始めました。

そのうちに射的や釜飯屋、寿司屋、なども増え、田んぼの真ん中に派手な明かりが煌々とつく賑やかな場所が生まれ、そこに、焼き鳥屋を出さないか、という誘いがあり、焼き鳥屋「いくの家」を営業開始しました。

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昭和33年、いくさん36歳の女盛りのとき、店を2階建ての広い座敷に改装。小料理屋「いくの家」を開業しました。*1

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昭和48年、駅の近くに、借金だけで「ホテルいくの家」を開業します。今で言えばラブホテルの始まりですかね。浦安は昔から家に風呂がなかったから、風呂つきの部屋で清潔にしてたから重宝されました。