大山旅館組合「先導師旅館のおこり」案内板大山旅館案内図(ケーブル駅設置)より大山旅館組合

明治初期、それまでの修験者・僧侶・神職を神仏分離に伴って「大山阿夫利神社」として組織し直したとき、神職に与えられた名称が「先導師(先導する御師の意味)」。
先導師(御師)に祈祷を頼む者を「檀家」、また、地域的・職業的集団の場合は「講」といい、師檀の関係になっていた。参詣のときはこれを迎えて自分の宿坊に宿泊させ、参拝祈祷の便宜を図り、檀家(講)は、お礼と初穂を納めた。この宿坊機能が近代に至って旅館として残り、先導師旅館と称している。
江戸時代中期の最盛期には約160余の先導師(御師)が存在した。現在は50余と減少したが、いずれも大山阿夫利神社本庁に属する宗教法人として位置づけられている。

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伊勢原(追分の道標②)道標の囲い石。新吉原三業組合。