追分の道標をもう少し見ていきます。
右側面には、「従是右富士浅間道 東口洌走(すばしり)江十四里 小田原最乗寺江七里」。大山詣と最乗寺(大雄山)や富士山への参詣がセットで行われていたことが解ります。
左側面の下部には「宿坊寶壽院(宝寿院)」と刻まれています。*1
大山詣の際、先導師(御師)は、自分の宿坊に檀家(講)を宿泊させ、参拝祈祷の便宜を図りました。この宿坊機能は近代に至って「先導師旅館」として残りました。*2
宝寿院は、大山11坊のうちの宝寿院*3 と思われます。
道標の囲い石。「京町一丁目」と刻まれています。
新吉原三業組合。これらの囲い石は、再建のときに建てられたものと思われます。