藤沢市教育委員会江の島の民俗藤沢市教育委員会1995.3
芸者置き屋と芸者

禁制
「浜のさざなみ」に、「此の地は古今の霊地なれば出女(でおんな)の類(たぐい)は更なり、芸者めきたるものも堅く禁制なり、いと尊き事にあらずや云々」とあるが、1922年(大正11) 7月発行の「江ノ島道しるべ」には「芸妓は14年前から常に4・5人ずつ養われている」とある。

江ノ島の芸者屋
明治・大正の頃、西町ハルミの裏に芸者やがあった。85年くらい前「ハンベイ」の老人が芸者を2・3人買ってくれ、そこへ若い衆が遊びに行った。ここにはコツマ、リキヤなどそれぞれ旦那持ちの芸者が住んでいた。西町の辰巳屋の横を入った奥にも戦後まで芸者置屋があった。島の老人たちはそこを「ペンペン清さん」とか「芸者清さん」と呼んでいたそうである。

飲食店

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昔は親子丼は、地元の弁天様に対して、殺生は申し訳ないといので作らず、地場で取れた魚介類のみを使った。同じ島に漁師町を抱えている強みである。