榎本正三女たちと利根川水運崙書房利根川叢書 ; 4崙書房出版
船頭小宿の女たち

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遊女や水商売の女たちは、何故か稲荷神社を信仰する根強い風習のあることが各地で見受けられる。木下河岸から南へ少し入った、竹袋の稲荷神社にも、女人信仰の風習を物語る一基の常夜燈がある。この常夜燈は文政9年(1826)の寄進で、
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竹袋村の元右エ門と新吉原の平吉、喜助が願主になっている。文政8年(1825)7月、木下河岸船頭小宿の三喜屋が産声を上げ、次々に5軒の小宿ができるが、それらの取り締まりをしたのが元右エ門である。江戸の新吉原の平吉、喜助が願主になっているのは両者が木下河岸船頭小宿の召し抱え遊女の斡旋者のような立場、鞍替えさせた飼い主ではないかと考えられる。この常夜燈に刻まれている多くの名前のうちもっとも重要なのは船頭小宿と遊女である。布川屋喜助、新若松屋伊三吉や遊女の名前が刻まれている。木下河岸船小宿の中心的存在であった三喜屋の召し抱え遊女は深川新地の百歩楼主人の斡旋によるというから、木下河岸船頭小宿には新吉原の遊女と深川岡場所の遊女の二つの系統があったことになる。

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印西(木下河岸)江戸時代から明治時代にかけて利根川水運の要衝の地として栄えました。
印西(竹袋稲荷神社)女人信仰の風習を物語る常夜燈。