鈴木正雄公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し ソープの帝王鈴木正雄伝光文社2012.8
誕生から1号店オープンまで

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グループ企業の中には、ソープランド以外に宝石店やボクシングジムもあります。不動産賃貸の会社もあれば、タオルを洗浄する会社などのさまざまな業種の企業があり、数百人の従業員がおります。

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公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し
これは、昭和23年に荒川区の便所掃除のアルバイトをしているとき、ふと頭に浮かんだ言葉です。仕事は辛いものなのだから、どんなに小さくてもいいから、仕事のなかで感動や喜びを見つけること、それが継続させる秘訣です。

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母が浅草の花柳界にいたものですから、花柳界にはちょくちょく顔を出していました。敗戦から5年が経過していた頃、私が出会ったのが人力車です。当時の芸者さんは日本髪を結っていましたから、せっかく結った髷が引っかかってしまう天井の低いタクシーを嫌い、移動を人力車専門でした。わたしは、花街に遊びに行くお客さんを運ぶのではなく、お座敷に呼ばれる芸者さんを置屋から料亭に、専門で運ぶことに目をつけたんです。

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そうこうしているうちに、わたしは人力車から輪タクに切り換えました。

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輪タクはタクシーの代わりをすると称していたが、実態は無届け営業の店に案内するための目印のようなもの。浅草では、芸者遊びをする浅草三業地と赤線地帯の吉原とが目と鼻の近さだから、商売の実態をみることが多く、収入の多い輪タクへと商売替えをした。

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輪タク経営で一儲けした私は、吉原の角海老に出入した縁もあり、昭和29年、21歳の時に儲けた金で吉原の揚屋町の角に土地を手に入れ、とりあえず輪タクの拠点にしました。「輪タクを漕いで、キックバックをもらっているより、払う方が儲かるのではないか」と閃き、「あけぼの2号店」を開店。

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お世話になった「角海老」の先代から、「『角海老』の名前を継いでもいいけれど、『角海老』の名を汚すような真似だけはしないでくれ」と言って頂けた。

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「角海老」の由来については、一説によれば、明治時代に吉原で奉公していた宮沢平吉が「角尾張楼」という見世を始め、その後「海老屋」という見世を買い取り、そこに「角海老楼」という木造三階建て、時計台付きの大楼を建てたそうです。当時、「角海老楼」は、いわゆる総籬(そうまがき)の大見世で、一般の人は近寄ることもできない格式の高い高級見世だったそうです。

この文献を参照している記事

松戸(岩山稲荷)松戸角海老根本店の隣。改修工事費寄付者の碑。
松戸(角海老商事) 公衆トイレと人生は後ろを向いたらやり直し。