常世田令子家と町並み職人ばなし三一書房1992.3
移住めいめい伝
落ち武者変じて廻船問屋

利根川べりの中央町の一角から、うまそうな匂いを漂わせてくるうなぎ蒲焼十五屋は、江戸期には仙台藩御用の廻船問屋(船の名を十五屋丸)として、大いに栄えたという。
文化十三年(1816)、十返舎一九が来銚した時には盛大にもてなした。その接待に一九先生が感激して狂歌を一首をお礼に残した。今その歌が、うな重の箸袋を飾る。

月の名の十五夜なれば自ずから丸印にはご不自由もなし

丸印とはもちろん銭お金のこと。

大阪屋稲荷、盛り場を守る

仲内清右衛門家は銚子本城(ほんじょう)町の代々の名主で、屋号が大阪屋である。明治以後も町長などを歴任した。
江戸期に入って、本庄村はの銚子湊の繁栄に伴い、多くの商船の停泊を見るようになり、次第に活気をみなぎらせはじめた。正徳3年には、移住商人たちが図って遊女屋を開くことになり、仲内家は地所を提供している。
遊女屋は大いに盛り、松岸遊廓と並んで本城の名を挙げた。面影は戦前ごろまで残っていた。
仲内家先祖は、移住の際に、商売繁盛の守り神、お稲荷様の心霊を負うてきた。下町に祀った社は大阪屋稲荷として親しまれた。