銚子市銚子市史昭和31年刊の複製銚子市1981.5
港の沿革の現状

P.828
宝永元年、大阪の豪商仲内家はこの地に来て大阪屋を号し、3つに分家して、米穀商、薪炭商、酒食店を開いたと伝えているが、その中で飲食を業とした方は大藤屋利兵衛を称して多いに繁盛した。親船の船夫たちは上陸すれば直ちに大藤屋に行き、飲食するのはもちろん衣類の洗濯まで依頼したため、常に4・ 5人の雇女を置いて、なお不足がちであったという。次いで東海道三島宿から三島屋三平が移り住み、また江戸近在から川口屋太平が転じ来たって、各々商売を始めたが、のちにこれらが大藤屋と共議して字下町に遊女屋を営業するようになった。天保・弘化・嘉永と年を重ねるにしたがって繁盛し、ついに遊女や5軒、引手茶屋25軒という盛況となった。

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松岸(大阪屋稲荷)盛り場の発展に貢献。宝永元年、大阪から移住。