武井順一市川市国府台における砲兵隊・工作隊の記録武井順一1997.1
砲兵隊・工兵隊の記録

P.1
1886年(明治18年)、東京から陸軍教導団が市川市国府台に移転し、市川の砲兵隊の幕開けとなった。歩兵大隊が移転、病院が現在の里見公園内に新設された。(略)教導団が来たので、市川~松戸間に広い道が必要となり、この頃、千葉町から囚人達をつれてきて道路建設に従事させた。これが現在、旅団坂といって和洋女子大学前へ通じる坂の道で、松戸へ抜ける新道(松戸街道)である。従来の道は巾がせまく、筑波大学付属ろう学校内を通り、市川一中をぬけ、東京医科歯科大学の裏門にで、理髪店の間のまがりくねった道が松戸にぬけていた。戦国時代、国府台の合戦で、小田原の北条軍と対戦した里見軍は、この道を通って松戸に敗走した。現在も「東桜陣」や「西桜陣」と言った地名が残っており、里見軍が陣をしいた場所である。

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国府台(陸軍の石柱)「陸軍」の文字が刻まれています。