千葉商科大学政策情報学部朽木ゼミナール市川細見記千葉商科大学政策情報学部朽木ゼミナール2015.10.17 リンク
三業の発展

市川市にあった三業組合には、国府台の市川三業組合(国府台三業組合)と真間組合、中山三業組合の3つがありました。市川三業組合の創立は 1921(大正 10)年頃で、他の2つよりも早い時期につくられています。真間三業組合は 1927 年の創立で、17 軒の置屋と 12 軒の料理旅館が加入していました。「名妓の碑」は、市川の花柳界を支えてきた名妓たちに思いを馳せ、妓芸を通じて地方文化の発展につなげたいとの趣旨で建立されたものです。蓜島正次氏らが世話人となり建立を呼びかけ、30 人からの有志により妓芸の神にゆかりの浮嶋弁財天の敷地内に 1986(昭和 60)年 4 月 13 日に建立されました。除幕式は亀井院住職兼浮嶋弁天財主管の読経、関係者・芸妓約 20 名参列の下におこなわれました。国府台女子学院院長平田博永氏が碑文を撰し、料亭栃木屋女将で書家でもある鈴木アイ子さんが揮毫しました。碑には 24 名の芸妓の名も連ねられています。

「名妓之碑」碑文の内容
「にほどりの葛飾野ハ/万葉の昔美女手児名を生めり/その元にしありてか古来市川の地ニ/いく多の名妓妍を競い/伎藝神ニ入りて浮世の塵にまみれむ/われらを志ばし忘我の境ニいざなひ/このこころ纒綿として桃源の於もひあらしむ/よりてここに石文を刻ミ/追憶のよすがとなさむ

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市川(名妓の碑)蓜島正次氏の呼びかけにより、1986年に建立。