小田原史談会小田原史談小田原史談会
第172号1998.1
石井富之助小田原叢談(三十)

川崎長太郎さんの抹香町
江戸時代、東海道に散在していた遊女屋は、明治36年、初音新地に移転したが、今まで来やすく遊んでいた人たちの中には重苦しく感じ、遊興費も高かったので、それらの人々のために自然に発生したのが抹香町の私娼である。
大正12頃には、このあたりは町の中心になり、風紀上から思わしくないことから、震災後、移転が検討され、新宿のはずれの元ゴミ捨て場であった地域に移転を命じられ、昭和初期に移転を完了した。これを俗に新開地といった。
川崎長太郎さんの抹香町は、実はこんこ新開地なのである。それを昔ながらに抹香町という名を使っているのは、その方が親しみがあったからであろう。
芸者などの揚げ代を線香代という。線香をとぼして時間を計ったからであるが、抹香町とはまことにそれらしい名前である。