相模原(タンクトップ)西門商店街。日用品の店舗。

相模原の中心商業地として発展してきました西門商店街。日用品の店舗が軒を連ねます。

普段着中心の品揃えの洋品店。

胸元が大きく開いたタンクトップが陳列されています。

はみ乳を連想させるディスレイです。

参考文献

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高知(制服屋)帯屋町の商店街。たくさんの種類の制服が陳列。

帯屋町の商店街。

制服専門店があります。

店先には、たくさんの種類の制服が陳列されています。

水色の襟の制服。最前列に陳列されています。

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直方(タナカ)須崎町商店街。女子学生服のマネキン。

直方の須崎町商店街。

通りの両側には、商店が建ち並んでいます。

学生服のタナカ。この日は日曜日でしたが、それでも営業中です。

女子学生服のマネキン。

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浜田(学校制服専門店)ビッグサイズのセーラー服。紺屋町商店街。

紺屋町商店街は浜田城の城下町として発展し、戦前は陸軍歩兵第21連隊が現在の浜田高校、浜田一中の場所にあり約2000人の兵隊がいたので、紺屋町商店街は大変な賑わいでした。*1

商店街に制服屋があります。

商店街の中心部にある学校制服専門店。

店の前に展示されているビッグサイズのセーラ服。かなり目立っています。

【参考URL】
*1 こんやまち商店街ホームページ「商店街概要

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コザ(ゲート通りのランジェーリショップ)1960年から続く洋品店。

ゲート通りの商店街に1960年から続く洋品店があります。

ショーウィンドウには派手なランジェリーが陳列されています。

セクシーランジェリーがディプレイされています。

ショーウィンドウの奥に鏡が置かれているので、背面のTバックの部分がよく見えます。

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原宿(竹下通り)路上のマネキン。若者で賑わっています。

ブティックが密集する竹下通りは、若者で賑わっています。

真っ赤な店構えがよく目立つ「ブテッィク竹の子」。
この店の衣装(ハーレムスーツ)をユニホームのように着ていた「竹の子族」は、一世を風靡しました。ブームが終わった後も、日本をモチーフにしたオリジナルファッションを提案。いまも根強いファンを持っています。*1*2

現在の竹下通りは、下着ショップの多さが際立っています。

路上に立つ派手なマネキン。

【参考文献】
*1 加藤明,他:原宿物語(草思社,1986)P.224
*2 馬淵公介:「族」たちの戦後史(三省堂,1989)P.249

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七尾(制服店)お父さんの背広よりも良い生地。

七尾市街地の中央に位置する一本杉通りには、古くからの卸・小売の老舗の建物が残っています。呉服店の前の路上に制服のマネキンがあります。

お父さんの背広よりも良い生地が使われています。

三島町の金刀比羅神社近くの洋服店。

セーラ服のマネキン。

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岡崎(伝馬町の制服店)2階部分はモダンな造り。

伝馬町ので見かけた制服屋さんの看板。

ショウウィンドウ。

商店街の中でも目立つ存在です。

2階部分は、モダンな造りになっています。

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横須賀(ドブ板通りのマネキン)美しく、セクシー。

ドブ板通りの洋服店は、店の前の路上にマネキンを置くというスタイルが定着しているようです。横須賀という土地柄、マネキンは外国人仕様です。

美しい外国人女性。

セクシーなマネキン。

タトゥーを入れたマネキン。

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豊橋(小池の制服屋)高級女学生制服。

JR豊橋駅から豊橋鉄道渥美線に乗り、2駅先の小池駅で下車します。小池駅の西側の通り。

広い通りに面して、制服屋があります。

高級女学生制服。

ショーウィンドウ。

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富士吉田(洋装のつちや)制服専門店。ずらりと並んだマネキン。

下吉田3丁目の商店街。店の側面に、「制服専門」と大きく書かれています。

つちや洋装店は、制服専門店です。

制服を着たマネキンがずらりと並んでいます。

2体のマネキン。

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池袋(大人のおもちゃ店)文化通り。池袋駅北口。

池袋駅北口の文化通り。

大人のおもちゃの店。

池袋二丁目の田中ビル付近にあるランジェリー・コスチューム店

看板と木製ゴミ箱。

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甲府(中山ユニホーム)セーラー服の原型です。

甲府市内の城東通り沿いのNTT山梨支店の近くに、ユニホームメーカーのビルがあります。

ビルの入口には、ナース服等のユニホームが展示されています。写真中央のナース服は、ピンク色で、襟が白。前チャックのデザインです。

弁天通りと交差する銀座通り商店街。山梨英和学院(明治22年(1989年)の設立)専門の制服ショップがあります。

山梨英和学院の生徒達は昔から流行に敏感で、明治33年(1900年)には、ほぼ全員がはかまを着用していたそうです。はかまを胸高くはいて歩く姿はそのころの甲府市内でも人目をひく存在でした。*1
現在の制服は、1928年に考案され、夏服は、海外から日本に入ってきたセーラー服の原型といわれています。ネイビーブルーのタイ、襟元と袖口に入っている白の3本線が特徴です。*2

【参考文献】
*1 山梨英和学院:山梨英和学院八十年史(1969)P.122-123
【参考URL】
*2 山梨英和学院:セーラー服の原型を守る制服

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松戸(制服専門店)「トンボ学生服」の看板

松戸駅近くの旧水戸街道沿い。特に春雨橋周辺は、古い商家が立ち並び、宿場町の風情を感じる通りです。その中で、「トンボ学生服」の看板を見つけました。

地元の中学・高校の制服専門店です。

可愛いブラウスの制服があります。なぜかマネキンは女子制服ばかりです。

もちろん、セーラー服もあります。

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宮川町(舞妓変身処)喫煙、飲食、寄り道は禁止です。

木造の風情のあるお茶屋が並ぶ中、「舞香」という看板のある変身処があります。

舞妓変身サービスは、雑誌の記事に紹介されています。

店の前には座布団が置かれています。変身した舞妓さんがここに座るのかもしれません。

店の前の張り紙には、「変身してお散歩されるお客様は、喫煙、飲食、寄り道は、しないで下さい。花街の風情を壊すような行動は謹んで下さい。」と書かれています。たしかに、10代の少女でしかなれない舞妓が喫煙をするのは、つじつまが合いません。

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