旧赤線街「鳩の街」*1 の北端あたり。

青の円柱の建物が残っています。

1階から2階へ突き抜ける円柱。

青一色で統一されています。

あかせんたてもの
旧赤線街「鳩の街」*1 の北端あたり。
青の円柱の建物が残っています。
1階から2階へ突き抜ける円柱。
青一色で統一されています。
数年前までは、いくつか当時の建物*1 が残っていた通り。
多くの建物が消失する中、こちらの建物は当時のままで残っています。
黄緑色を基調とした窓の廻りの装飾。
現在も鮮やかなタイルの装飾。
吉原ソープランド街の江戸二通りと角町通りの間の通りに旅館の建物が現在も残っています。
1993年頃までは、「浅草ホテル」として営業していました。*1
2階部分
現在も残る看板。
亀戸の旧銘酒屋街。
「赤線跡を歩く」*1 で紹介されている「可憐な概観を持つ建物」が現在も残っています。
当時は、建物の左上部分に「双葉」と書かれていました。*2
タイルの装飾をコンクリートでくりぬいたような窓のデザインは同時のままです。*2
奥行のあるアパートの建物。
吉原の江戸一通り。
旅館「白菊」の建物が残っています。
窓に残る「白菊」の文字。
「吉原今昔図」*1*2 によると、「白菊」は、昭和33年の公娼廃止時は、貸座敷(赤線)でした。
【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図 吉原現勢譜(葭之葉会,1993)
【参考記事】
*2 風俗散歩(吉原):吉原神社(2005.9)
旧赤線街の中心部。
太い円柱を持つ建物があります。
鮮やかな茶色のタイルの壁面。
以前、この場所にあったドアに装飾があった廃屋は、無くなっていました。
今回は、鳩の街(東京都墨田区)の町並みと風俗を散歩します。
旧「桜井旅館」の建物。「赤線跡を歩く」 にも登場する鳩の街を代表する建物です。*1*2
表通りに面した側は美しい黒板壁で覆われています。
玄関横に「解体工事のお知らせ」と書かれたプレートが取り付けられています。近日中に取り壊されることが決まっている模様です。
「桜井旅館」と小さく書かれた楕円形の表札。
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.36-P.39
【参考記事】
*2 風俗散歩(鳩の街):鳩の街の赤線建築(2007.9)
アーケードをぬけた三叉路付近に、赤線時代の建物が今も残っています。
4軒の店が入っている長屋の建物。この建物は、「国家売春命令物語」の口絵*1 に掲載されている「丸健」の建物」と思われます。口絵の写真には、左から「YANAGIYA」、「カフエーやよい」、「喫茶すずらん」....の屋号の店が写っていて、「カフエーやよい」、「喫茶すずらん」の店の前には女性がそれぞれ二人づつ立っています。
1960年の住宅地図*2 を見ると、「YANAGIYA」は「柳すし」、「カフエーやよい」は「やよい飲屋」となっており、売防法実施後も同じ屋号を引き継いで、飲食店として営業していたようです。
「赤線跡を歩く」*3 に写っている同じ建物の写真を見ると、一番左の店は、「柳鮨」となっていますが、今は、別の店に変わっています。
「赤線跡を歩く」に掲載されていた「柳鮨」の隣の建物は、無くなっていました。
三叉路付近。
【参考文献】
*1 東京都全住宅案内図帳江戸川区西部(1960,住宅協会)P.13
*2 小林大治郎,村瀬明:国家売春命令物語(雄山閣出版,1971) 物語歴史文庫19
*3 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.28
今回は、新小岩(東京都江戸川区)の町並みと風俗を散歩します。
JR新小岩駅南口から延びる「ルミエール商店街」のアーケードが無くなるあたりに、「丸健」と呼ばれていカフェー街がありました。現在もかすかにその面影を残す路地があります。*1
路地の奥まったあたりにある「かつこ」という名の小料理屋。
路地を逆方向から見たところ。
この路地の裏側には、「山喜」という屋号の料亭風の建物がありましたが*1、残念ながら、取り壊されて駐車場となっていました。
【散歩地図】
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.28-P.29
第一京浜裏手の路地には、赤線時代の建物がごっそり残る一画があります。
今回散歩したところ、半年程前まであった古いお宅と元旅館の建物*1 が無くなっていました。中央部の一画がぽっかりと空き地になっています。
路地の北側には、円柱を持つお宅が健在です。
道を挟んだ向かい側の建物が無くなり更地になったため、建物の全貌を見れるようになりました。
【参考記事】
*1 風俗散歩(曙町):第一京浜裏手の路地(2006)
鳩の街のメイン通りから路地を入ったところ。廃屋があります。
朽ち果てた入口の扉。
銭湯の松の湯近くの路地の奥まったところにある廃屋。
木造モルタルでありながら、この曲線美。
鳩の街商店街周辺には、現在も多くの「赤線建築」を見ることができます。なかでもこの物件は大店だったらしき建物で、表玄関のある裏路地側と商店街に面した通用口側の両方にバルコニーがあります。赤線当時は、このバルコニーから女性たちが名残惜しく振り返る客を見送っていたことが想像できます。*1
建物の側面にある外扉。
「OFF LIMITTS(米軍立入禁止)」。赤線時代の名残が外壁に残っています。*2
現在は、下町の希少物件として売り出されています。*1
【参考文献】
*1 散歩の達人(2004.8)P.48-P.49
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.38
旧洲崎遊廓の東側の通り。
ここに、現在も原型をとどめている建物があります。
見事なファザードを持った建物です。
3つあった入口のうち、中央の入口のみが使用され、他の2つの入口は閉じられています。*1
【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.15
調布の売春業は、布田五宿(国領宿、下布田宿、上布田宿、下石原宿、上石原宿)と呼ばれる宿場町の飯盛旅籠として江戸時代に始まり、その後、貸座敷業として発展し、明治時代に21軒の妓楼を数えました。その後衰退しましたが、敗戦後、調布特飲街(仲町特飲街)として勢いを盛り返しました。*1
現在の仲町通りは、スナックなどの飲食店と住宅地が混在する通りです
町並みは新しく、赤線時代を連想させる建物は残っていません。
赤線街の中心部である交差点には、現在はホテルが建っています。
漫画家つげ義春の「退屈な部屋」という作品に登場する「丸窓の家」は、このあたりにありました。*2*1 聞き書き集編集委員会: 調布の里ものがたり(調布市生活文化部女性課,1999)P.71-P.86
*2 木村聡:赤線跡を歩く(自由国民社,1998)P.46-P.47
第一京浜の裏手に昔の赤線時代の建物がごっそり残る路地があります。その路地に、さらに細い路地が直交しています。
かつては、この路地は賑わい見せていたのかもしれません。
アーケードが痕跡が残っています。
使われていない旅館の入口。
伏見通りは、転業アパートが連なる通りですが、半年前に散歩したときに、この場所にあった旧「金よし」*1 は取り壊され、さら地になっていました。赤線時代の名建築がまた一つ消えました。
以前は、旧「金よし」とT字路に向かい合うようにして、建っている旧「プリンセス」の建物。
独特のデザインの建物です。
遠くから眺めても、ひと目でそれと解ります。
【参考記事】
*1 風俗散歩(吉原):旧「金よし」(2006.4)
昭和33年の売春防止法施行後、吉原の赤線業者は旅館に転業し、ひところは修学旅行の学童も泊まりました。*1
旅館「喜久本」の建物が残っています。吉原今昔図*2 によると、この場所には赤線時代、「新久喜」という屋号の店がありました。
入口には、「吉原観光旅館組合員」と書かれたプレートが貼られています。
旅館「稲本」。稲本楼の関係者が開業した旅館でしょうか。
渋取川の暗渠のあるあたり抹香町(まっこうちょう)(現在の浜町2丁目)は、かつて旅館街でした。
壁の装飾の美しい旧旅館の建物が並びます。現在は、静かな住宅街です。
このような木の壁が景観を特徴づけています。
縦横に走る路地。
京町二丁目と角町の間の通り。こちらにも、昔の雰囲気を残す建物が残っています。
アパートに転業した建物。
円柱と石材が調和しています。
ソープランド「天女」の近くにある、飲食店だったと思われる建物の入口。
今回は、吉原(東京都台東区)の町並みを散歩します。
吉原の江戸町二丁目(伏見通り)。大門に近いあたりに、戦後のカフェー街の名残の建物があります。
角が丸みを帯びた、転業アパートの金井荘。1階がモルタルで2階が羽目板張りになっています。いつも選挙用のポスターが貼られているのも特徴です。
吉原今昔図*1 によると、赤線時代は「金よし」という屋号でした。
正面から見たところ。
ここのT字路は、転業アパートが向き合っていて、いい雰囲気です。
【参考文献】
*1 荒井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)
今回は、福生の町並みと風俗を散歩します。JR福生駅東口から通りを5分ほど歩くと通称「赤線」の入り口の十字路です。
昭和30年代から続く赤線街の雰囲気を伝えるパブ、スナック、バーがずらっと並んでいますが、昼間はほとんど人通りがありません。
地元の人の話によると、これらのスナックの中には、ホステスを連れ出させる店もあるそうです。
外見は、普通のスナックです。
若松劇場の通りから路地を入ったところに、船橋新地時代の建物が1軒残っています。木造2階建ての立派な建物です。
木の温もりが感じられる建築です。
奥行きは普通の家の2軒分あります。横の路地を行くと裏の道に抜けることができます。
玄関の明かり取り。
鳩の街商店街の裏のもう一つに路地にもカフェー時代の名残を持つお宅があります。
家の左側に水色の大きな円柱。
水色の中に小さなピンク色のタイル。きめの細かい細工です。
株は緑色です。
鳩の街商店街の一つ北側の路地に、戦後のカフェー街の建物が残る路地があります。
赤線跡関連の書籍や雑誌によく掲載されるお宅。黄緑色を基調としたタイルの装飾が鮮やかです。
赤いタイルの円柱もあります。
黄緑、水色、赤(ピンク)。
風俗街の中、旅館の隣に遊郭建築の特徴を残した建物があります。
豆タイルで装飾された円柱の柱が全部で5本(写真の左側にもう1本)あります。
美しい入口の扉。
扉には斜めに通した二重の取ってがついています。金属部分も綺麗です。
親不知通りは、現在ではヘルス等の風俗街となっていますが、かつては遊郭(青線)であったところです。
1軒だけ、当時の雰囲気を留める建物があります。現在はスナックになっています。
緑色の円柱が鮮やかです。壁に装飾があり、いい雰囲気です。
スナックの横は路地になっています。
横浜橋近くの曙町3丁目の路地に特殊飲食街の雰囲気がそのまま残っています。
それらしき建物は3軒ぐらいしか残っていませんが、路地の雰囲気がいいです。
写真左手のフェンスで囲まれた場所には、「消えた赤線放浪記」の巻頭カラー写真として掲載されている古い建物がありました。
バルコニー付きの建物。
千住柳町の赤線跡(遊廓跡)は大門商店街の隣の路地にわずかに残っています。
二軒続きの家があります。
一階の窓に特徴があります。
二階の窓にはひさしがついています。
角町二丁目に赤線跡の建物があります。表通りはソープランド街です。
路地の十字路の角にあります。
外壁の装飾が独特です。
軒下にランプがあります。
ソープランド街の中には、旅館もあります。ソープランド「ワールド」の近くにある旅館。雰囲気があります。
正面から見るとかなり大きな立派な建物であることがわかります。
堺町の通りから旅館の側面を見たところ。
入口にあった吉原観光旅館組合員のプレート。
伏見通りは、古い建物が多く残る通りです。
赤茶色が印象的な建物があります。
正面上部には、「マスミ」という屋号が大きく書かれています。
「マスミ」は吉原今昔図*1 にも記載されています。
【参考記事】
*1 吉原神社の吉原今昔図(風俗散歩,2005.9)
洲崎遊廓跡地に、当時のままの姿で現存する赤線跡の建物があります。
建物には、屋号が外壁に残っています。
現在は、共産党の事務所として使用されています。
タイルで装飾された大型の丸い円柱。
弁天町商店街の交差点の角にある八百屋。建物は、以前、遊郭であったと言われています。
通りに入って横から見たところ。
青いタイルが綺麗です。
この通りを少し進んだところにある「かにや」という屋号のお店。