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名駅(堀川の自然を守るガチョウ)天王崎橋付近。

今回は、名駅(愛知県名古屋市中村区)の町並みと風俗を散歩します。
名古屋市街を南方向へ流れる堀川は、生活排水が流れ込み、水質汚染が進んでいます。

天王崎橋のたもと。ラブホテル(ピンク色の建物)脇の敷地に、ガチョウが暮らしています。

ガチョウが暮らす小屋の上にはラブホテルの看板。小屋の脇には、水質浄化を訴える看板が設置されています。

同じ看板は、川沿いのフェンスにも掲げられています。「ガチョウも一生懸命この堀川で生きて行こうとしています。堀川の自然を守り続けているガチョウ達のためにも私達が立ち上がらなければならないのです。」

門前仲町(深川江戸資料館)天保の終わり頃の深川の町再現。

江東区深川江戸資料館。江戸深川の町が再現されています。

土蔵が町並みから突出してたち、その右手前二棟は長屋、奥に火の見櫓が見えます。*1

船宿の猪牙舟(ちょきぶね)。

天保の終わり頃の深川の町が再現されています。*1

【参考文献】
*1 藤沢周平:深川江戸散歩(新潮社,1990)P.58-P.67

門前仲町(釣船橋の風景)江戸の深川の思わせる風景。

今回は、深川(東京都江東区)の町並みみと風俗を散歩します。
地下鉄東西線の門前仲町駅の南東方向に釣船橋があります。

乗船場の看板。

付近には、釣り船や屋形船が停泊しています。

江戸の深川の思わせる風景です。

長崎丸山(崇福寺駅)川の上に設置されている駅。

長崎の市電の終着駅の崇福寺駅。川の上に設置されている駅です。

駅からは、川沿いにせり出し建物が見えます。

逆方向から見たところ。写真の右奥の市電の車両が見える場所が正覚寺下駅です。

建物の反対側。飲食店が連なる長屋風の建物です。

浜松町(船宿)江戸時代の情緒を感じる風景です。

浜松町駅の南側の金杉橋に、船宿が建ち並んでいる一画があります。

船宿の脇の路地。

屋形船の船着場。ここから隅田川方面へ向かう屋形船に乗船できます。

金杉橋から見る風景。江戸時代の情緒を感じる風景です。

洲崎(南開橋)運河を渡る橋。モクレンの花が満開です。

今回は、洲崎(東京都江東区)の町並みと風俗を散歩します。
旧洲崎遊廓の南端にある南開橋。汐浜運河にかかる橋です。

運河を渡る南開橋は高い位置にあるので、ここから洲崎遊廓があった方向を眺めると、橋からは下り坂になっています。

現在、汐浜運河となっている場所は、昔は海でした。

モクレンの花が満開です。

長崎丸山(銅座市場前の川)川沿いに連なる家屋。

銅座町と船大工町の間を流れる銅座川。*1

銅座市場は、銅座川の上にできた市場ですが、市場の南西側の橋からは銅座川を眺めることができます。

川沿いには、建て増しを重ねた家屋が連なっています。

逆方向から見たところ。

【参考文献】
*1 下妻みどり:長崎迷宮旅暦(書肆侃侃房,2008)P.132-P.133

船橋(山谷澪跡)海から魚を運ぶための運河の跡。

国道14号線沿いにあるNTTのビルから少し南へ入ったところに、運河跡の入口があります。

運河跡の脇には遊歩道が続いています。

この運河跡は、澪(みお)と呼ばる川と海を結ぶ流路で、かつては海から魚を運ぶために利用されていました。船橋には、このような澪が数多くありました。12
せり出す母屋がアジアンチックです。*2

裏側の道路側から母屋を見たところ。

【参考文献】
*1 船橋市広報課:悠遊散歩道(船橋市広報課,1996)P.7-P.8
*2 散歩の達人(2001.10)P.12

浅草橋(船宿)猪牙舟は、この船宿から出ました。

柳橋から見る船宿と神田川の眺め。

柳橋に住む芸者の実態を描いた「柳橋新誌」*1 に「皆ここを過ぎる者なく、五街(吉原のこと)の娼しに遊び、三場(歌舞伎三座のこと)の演劇を観、・・・皆水路を此に取る。故に船宿の戸、舟子(せんどう)の口(人数)、星羅雲屯(ほしのごとくつらなりくものごとくたむろし)、・・・」と書かれているように、この当時の江戸の重要な交通手段であった猪牙(ちょき)と呼ばれた小舟は、この柳橋の船宿から出ました。*2

神田川沿いに、船宿が並びます。

昭和の初期は、この道沿いに料亭があり、芸者さんが歩く風景が見られました。*3

【参考文献】
*1 佐竹昭広:新日本古典文学大系100(岩波書店,1989)P.339
*2 佐藤悟:國文学(1990.08)「柳橋 成島柳北「柳橋新誌」P.93
*3 日本文芸社:荷風(2007.6)P.32

浅草橋(柳橋)墨田川や吉原への好適な足場でした。

今回は、柳橋(東京都墨田区)の町並みと風俗を散歩します。
柳橋は、神田川の出口に位置し、両国橋という大きな橋を近くに控えた江戸時代からの水陸の交通の要衝でした。また、墨田川の船遊びや吉原や深川に遊びに行く人たちにとっては好適な足場でもありました。*1

柳橋の名は、柳原堤(やなぎはらどて)の末端に架設されたことが由来とされています。柳原堤は、江戸城の凶位(きょうい)にあたるため、陰気を防ぐために陽木とされる柳が植えられていました。*2

現在は、鉄橋の橋が架かっています。

花街らしく、橋の欄干にはかんざしがデザインされています。

【参考文献】
*1互笑会:柳橋界隈(互笑会,1953)P.96
*2 加藤藤吉:柳橋沿革史(柳橋開橋祝賀会事務所,1929)P.10

品川(天王洲運河)海岸線の名残。高層ビル群の景観。

「北品川の古い家並み」の南側の天王洲運河は、昔はここまでが海岸線だったところで、今でも海岸線の名残が感じられます。

この日はボラがたくさん泳いでいました。

運河の北側は、品川駅方面です。こちら側にも屋形舟がたくさん停泊しています。運河の向こうには、古い民家が数棟残っていますが、その向こうには、駅前の再開発によってできた高層ビル群が景観を圧倒しています。
写真左側には、都営北品川アパートが見えます。

都営北品川アパートから見た天王洲運河と屋形舟。手前には、「古い民家の家並み」が見えます。

天王町(帷子川)尾張屋橋付近。

今回は、天王町(神奈川県横浜市保土ケ谷区)の町並みと風俗を散歩します。
浅間町に流れる帷子(かたびら)川。川にかかる尾張屋橋が見えます。

尾張屋橋の上り口のあたり。

尾張屋橋から横浜方面をみたところ。この川をずっと行けば横浜市内です。

尾張屋橋から見た住宅街。