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竹ノ塚(花畑の大鷲神社)酉の市の元祖。江戸時代。

今回は、竹ノ塚(東京都足立区)の町並みと風俗を散歩します。
酉の市は江戸東京を代表する冬の祭りで、規模の大きさでは、浅草の鷲神社の酉の市か新宿の花園神社の酉の市が有名ですが。酉の市発祥の地は、両者のいずれでもなく、江戸から遠く北に離れた花畑の大鷲神社でした。*1
花畑の大鷲神社の当時の賑わいは大変なもので、花畑は江戸時代のレクレーションの中心地でした。人気の要因は信仰のほかに賭博があったことでした。しかし、九代将軍徳川家重のときに賭博が禁止され、また浅草でも酉の市が開かれるようになり吉原の遊里と結びついて繁盛したことから、本家の大鷲神社の酉の市はさびれてしまいました。*2
この日(11月19日)は、花畑の大鷲神社の酉の市の日です。

参道から鳥居のあるところまで、露天が建ち並びます。

熊手屋の出店数は、5~6軒と小規模です。

たこ焼き。

【参考文献】
*1 長沢利明:酉の市の起源(1) 東京都足立区大鷲神社(西郊民俗)[2004.6]
*2 菊地隆夫:竹の塚今昔物語(「竹の塚今昔物語」企画・編集制作委員会,2007)P.18-P.19,P140-P.142

浅草(サンバカーニバル)雨の中でのパレードでした。

毎年8月の最終土曜日に浅草サンバカーニバルが開催されます。パレードは、馬道通りから雷門通りにかけて行われます。
浅草サンバカーニバルは、1980年、俳優の伴淳三郎さんの発案で始まりました。*1

今年は、あいにくの雨(時々豪雨)の中でのパレードとなりました。

パシスタと呼ばれるパレードの中のソロダンサー。どこのチームも魅力的です。

タンガと呼ばれる衣装で、背中にたくさん羽を背負っています。

【参考URL】
*1 浅草エスコーラ・ヂ・サンバ協会(AESA)ホームページ

新宿(花園神社)酉の市の日だけ見ることができる見世物小屋。

花園神社に立ち寄ります。この日は酉の市の日でした。東側入口に仮設小屋が見えますが、これは、酉の市の日に建てられる見世物小屋です。

「演劇大百科事典」によると、見世物とは、「寺社の境内や盛り場で臨時に掛小屋芸能及び種々の珍奇なものを見せて、入場料をとる興行物」のことをいい、かつては、女相撲やストリップも仮設で興行されていました。仮設小屋の起源は室町時代にまでさかのぼると言われています。*1

蛇おんなの看板。

呼び込みのおばさんが、熱弁をふるいます。

【参考文献】
*1 鵜飼正樹:見世物小屋の文化誌(新宿書房,1999)P.15,P.26,P.50

吉原(大鷲神社の酉の市)有名人の売約済みの札。

大鷲神社では、今年の酉の市が行われていました。熊手には有名人の売約済みの札がつけられています。
江戸時代、宝暦・明和年間(1750~60)にはすでに酉の祭は相当な賑わいで、それ以前から年中行事として行われていました。*1

演歌歌手の北島三郎。

平沢勝栄副大臣

石原都知事とその息子たち。

参考文献

*1 浅草鷲神社 浅草 鷲神社公式ホームページ リンク
御由緒 十一月酉の日の午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に始まり、終日お祭が執り行われます…

芝浦(協働会館コーナー)芝浦運河まつり会場。

今回は、芝浦の町並みと風俗を散歩します。
芝浦は運河の町です。この日(10月22日)は、今年で3回目を迎える「芝浦運河まつり」が開催されていました。

芝浦運河まつりの会場に、「協働会館コーナー」がありました。

協働会館は、昭和11年に建てられた近代和風建築です。もともとは、芝浦花柳界の見番(検番とも書く)として建てられました。*1

冊子「協働会館 華やかなりし花柳界の面影を伝える近代和風建築」(500円)が販売されているので、1冊購入しました。

【参考文献】
芝浦・協働会館を活かす会:協働会館 華やかなりし花柳界の面影を伝える近代和風建築(芝浦・協働会館を活かす会,1999)P.8

吉原(一葉桜まつり)花魁道中。花魁ショー。

吉原のはずれの千束通りを行くと、一葉桜・小松橋通りと交差します。通りには、一葉桜(八重桜の一種)が植えられています。この日は、一葉桜まつりが行われていました。一葉桜まつりは、一葉桜が植えられた2002年から始まり、今年で4回目だそうです。

まつりの目玉は、花魁道中です。もちろん、これは、当時のものを再現したものです。禿(かむろ)、花魁、振袖新造の順です。

ステージが用意されており、そこでは、花魁ショーが行われました。写真は、花魁が杯を飲み干した場面です。

最後に、花魁の撮影タイムがありました。