京成電鉄谷津駅近くにある谷津公園。公園の奥には「谷津バラ園」があります。

バラ園の入口脇にある「読売巨人軍発祥の地」の碑。

川上哲治、長嶋茂雄、王貞治氏など、往年の名選手の手形が並べられています。

この場所にあった谷津球場から日本のプロ野球は始まりました。

すぽーつ
京成電鉄谷津駅近くにある谷津公園。公園の奥には「谷津バラ園」があります。
バラ園の入口脇にある「読売巨人軍発祥の地」の碑。
川上哲治、長嶋茂雄、王貞治氏など、往年の名選手の手形が並べられています。
この場所にあった谷津球場から日本のプロ野球は始まりました。
歌舞伎町の北側にある新宿「バッティングセンター」。
1978年に開業しました。*1
入口。
長嶋茂雄と思われる絵看板。
最近は、ストレス発散の場として利用されているようです。
早稲田通りの馬場口交差点から南へ折れ、階段になっている歩道を上り切ったところにある馬のモニュメント。
馬のモニュメントの先に、国旗掲揚塔が鎮座しています。
諏訪町会国旗掲揚塔。1964年(昭和39年)の東京オリンピック東京大会を記念して建てられたものです、日付は10月24日となっています。
千駄ヶ谷で見かけた国旗掲揚塔※1と同じく、町内会が建てたものです。
国旗掲揚塔から北側。写真左奥が「馬のモニュメント」です。
今回は、小岩(東京都江戸川区)の町並みを散歩します。
JR小岩駅改札口にある栃錦像。昭和の大横綱です。
右手や両膝の内側あたりは、多くの人に触されて金色に輝いています。
お尻もピカピカです。
乳首も。
池上本門寺の墓地。ここには古今東西の多数の有名人が眠ります。
力道山は、戦後、まだテレビが普及段階だった頃のヒーローです。
力道山は、昭和25年(1950)、親方との感情のもつれが原因で大相撲の関脇を廃業。新田新作(新田建設社長のちの明治座社長)※1 のもとで働きますが、同年の秋、銀座ナイトクラブ「銀馬車」でハロルド坂田と出会ったことをきっかにプロレスに転身しました。*1
1963年12月8日、赤坂の高級ナイトクラブ「ニューラテンクォーター」大日本興行(現住吉一家小林会)の組員であった村田勝志と口論になり、村田に登山ナイフで腹部を刺され、これが原因で悪化。12月15日に化膿性腹膜炎で死去しました。*2
東陽町の運転免許センター前の通り。
現在は、企業のビルが建ち並ぶ場所ですが、2005年、ここに洲崎球場跡の碑ができました。
プロ野球草創期に、1年間で100試合近くの公式戦が行われた有名な球場ですが、埋立地につくられたため、海水が満ちてきて試合が中止になったなど、強烈なエピソードを持っています。*1
球場のすぐそばには洲崎遊廓がありました。堅物というイメージの強い巨人軍の沢村栄投手もたまに試合後に通っていたそうです。*1
*1 佐野正幸:あの頃こんな球場があった(草思社,2006)P.193-P.199
JR代々木駅前に国旗掲揚塔があります。
昭和39年10月吉日と書かれています。東京オリンピックの開催は、昭和39年(1964年)10月にですので、この国旗掲揚塔はこれにあわせて作られたものと思われます。
代々木駅近くの交差点にも同様の国旗掲揚塔があります。
「昭和39年8月20日 通り町会国旗掲揚塔」と書かれています。
代々木公園に、東京オリンピック開催を記念した掲示があります。
アーチの奥に東京オリンピック記念宿舎があります。
この建物は、東京オリンピックのときにオランダの選手団宿舎として使用された建物です。木立にたたずむ姿は軽井沢を思わせます。*1
1964年、第18回オリンピック大会が東京で開催されましたが、そのときの選手村の跡が代々木公園になりました。
【参考文献】
*1 本橋信宏:60年代郷愁の東京(主婦の友社,2010)P.5-P.8