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長崎丸山(遊廓時代の石塀)寄合町の玉泉神社。

今回は、長崎丸山(長崎県長崎市)の町並みを散歩します。
かつての遊廓だった丸山。寄合町に玉泉神社があります。

この玉泉神社の南側と東側には、遊廓時代からあった石塀が現在残っています。

南側の石塀。

東側の石塀。

参考文献

*1 長崎国際観光コンベンション協会 長崎さるく
新地・丸山界隈 長崎さるくモデルコース
・遊廓時代の石塀の解説。

吉原(おはぐろどぶ跡)ソープ街周辺の段差。

かつての吉原遊廓であった吉原ソープ街の外周部分はおはぐろどぶと呼ばれた堀があった部分です。現在もその名残の段差が随所に残っています。※1

北西側の道路は、段差が顕著に残っている場所の一つです。

吉原交番の近く。おはぐろどぶ跡から道路に向かう場所が坂道になっています。

花園通り(南東側)の段差。ソープ街へ通じる細道です。

吉原(おはぐろどぶ跡)段差が残っています。

とおはぐろどぶ跡(水道尻側)。

おはぐろどぶと旧遊廓域への道が交差する箇所。おはぐろどぶの方が低いので段差になっています。

北西方向へ進むと、おはぐろどぶと旧遊廓域との段差は顕著になります。

駐車場となっている場所。50cmほどの高低差があります。(写真奥はソープランド街)

吉原(おはぐろとぶ跡)黒くなっている石。

かつての吉原遊廓は「おはぐろどぶ」という掘で囲まれていましたが、現在も周辺の道路にその名残をみることができます。

おはぐろどぶがあった場所は、遊廓があった場所よりも低い位置にあったため、その高低差を埋めるための階段があちこちにあります。

階段の脇の石垣の下の石が、かつてのおはぐろどぶの名残です。*1

よく見ると、下の石は黒ずんでいます。

【参考文献】
*1 町田忍:東京ディープ散歩(アスペクト,2008)P.33

吉原(大門)通りの名を示す門柱が建てられました。

今回は、吉原(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
昨年(2007年)は、新吉原が誕生(元吉原から移転)してから、ちょうど350年にあたります。これを記念し、2007年11月に、遊廓の入口である大門を再現した街路灯が設置されました。江戸風情を復活させようと町会の働きかけによって実現したものです。”江戸の華”とうたわれた遊廓の歴史は現実の荒波にもまれながら受け継がれています。*1

かつての吉原遊廓の大門があったあたりに設置された「大門(おおもん)」と書かれた街路灯。他に、「角町」、「京町」、「揚屋町」などと書かれた街路灯も各通りに設置されています。

この場所には、花魁(おいらん)ショーで有名な料亭の松葉屋がありましたが、現在は1階に交番が入るマンションになっています。
吉原今昔図*2 によると、松葉屋は昭和20年代には引き手茶屋として営業していました。
花魁ショーは、平成の初め頃まで、月・木・金を除く15時からと毎日19時から、所要時間25分で上演され、「はとバスツアー」にも組み込まれていました。*3

大門があったあたりから大門交差点方面を見ると道路がS字形に曲がっています。ここは、五十軒道と呼ばれていました。

【参考文献】
*1 丹治早智子:東京新聞(2007.11.9 夕刊)P.10 「吉原大門」街路灯で再現
*2 新井一鬼:吉原今昔図(葭之葉会,1993)
*3 散歩の達人(1996.11)P.8-P.9

関内(岩亀石灯籠)横浜公園の中に移設された岩亀楼の遺構。

横浜公園の日本庭園の入口近くに「岩亀石灯籠」があります。

案内板によると、「岩亀石灯籠」は、妙音寺(港区三春台)から、横浜市に寄贈されたもので、岩亀楼にちなむ石灯籠です。

岩亀楼は、港崎遊廓において中心的存在で、外国人遊廓がこの岩亀楼を中心にして元締めのような形で運営されていきました。外国人が娼妓を妾にするときは、岩亀楼の許可をとらなければなりませんでした。*1

石灯籠に「岩亀楼」の文字が刻まれています。
港崎遊廓の岩亀楼は、純日本様式に西洋様式を加味したもので、二層楼は異人館と和人館に区別され、廓内第一楼としての建築の美しさを誇りました。*2

【参考文献】
*1 川元祥:開港慰安婦と被差別部落(三一書房,1997)P.91
*2 横浜市:横浜市史稿風俗編(臨川書店,1985)P.516