>西葛西>越生(越生酒造跡)建物一面にホーロー看板。銘酒「来陽」>越生(曙会館跡)昭和34年(1959)3月の上映プログラム。>伊勢原(菅原社奥の石塀)新吉原関係者の名。>伊勢原(とうふ坂)昭和40年までは、石段のある坂道でした。>伊勢原(「藤栄会」記念碑)老舗呉服店だった上野松坂屋。>伊勢原(「大黒屋」の記念碑)開亀橋近く。>伊勢原(「芝浦いけす」記念碑)「丹沢大山国定公園」ゲートの近く。>菊川(松の湯)墨田区で60年以上続く銭湯。>菊川(榎稲荷神社)町名の由来。川の畔に、遊女の宿が多く散。>菊川(たばこ店)日本外国。憩いの場となっている桜の木。>菊川(生駒菜館)タンメンが看板メニュー。>高萩(日高団地)「〇〇条南」「〇〇条北」と書かれた木柱。>高萩(高久)ラーメン400円。ゴルフ場の南。>高萩(カラオケスナック)かつては、場末感漂う娯楽施設が隣接。>高萩(養豚発祥の地)サイボク園内「心友の像」。>越生(中華料理「永楽」)ラーメン、チャーハン、餃子など。>船堀>菊川>越生(黒山三滝 女滝・男滝)鉱泉発見により、明治時代は県内有数の観光地。>越生(「三滝入口」碑)日本第一 大平山 三瀧入口。>越生(黒山三滝入口)故郷を宣伝した新吉原の尾張屋三平。>越生(「二七の市」の碑)旅館、料理屋、芸者屋など。明治・大正期に最盛期。>下北沢(宇田川湯)風呂場のペンキ絵は赤富士。>下北沢(中華「丸長」)老舗ラーメン店。>下北沢(安吾文学碑)区立代沢小学校の敷地。家の門柱。>下北沢(かたばみ荘跡)文学に因縁が深い「よじれた四つ角」。>下北沢(狭小建物)戦前は川が流れていたY字路。>下北沢(だいだらぼっちの足跡案内板)世田谷代田駅駅前広場。>下北沢(中華「吉田屋」)新代田駅。セットメニューが充実。>下北沢(小田急線駅のレリーフ)宮永岳彦の作品。>伊勢原(大山頂上)山頂からの眺めは格別です。>伊勢原(追分の道標②)道標の囲い石。新吉原三業組合。>伊勢原(追分の道標①)16丁目。左側面に「新吉原町講中」。>伊勢原(大山ケーブルカー)阿夫利神社駅までは所要時間6分。>伊勢原(お食事処ぼんち)伊勢原大神近くの大衆食堂。>秦野(パブ跡)ひがしみち。Y字路を進んだ先の雑居ビル。>秦野(カフェ「天一」)ホルスタイン柄。ひがしみち。>秦野(乳牛通り)乳牛を飼っていた場所。付近に醍醐みち、曽屋みち。>秦野(片町第一商店街)緑、黄、赤。カラフルな看板建築。>秦野(軽便みち)馬車鉄道の運行が始まりでした。>秦野(くすの木広場)吉原の遊女たちに好まれた「秦野たばこ」ゆかりの地。>鶴巻温泉(宮永岳彦記念美術館)>鶴巻温泉(石燈籠)旅館「光鶴園」が建立。博物館「黄庵」。>渋沢(とき乃や)チャーシューワンタンメン。>渋沢(新吉原講寄進の道標)江戸屋喜平次の名前。人足二百人。>渋沢(追分道標)江戸時代、大山や富士参詣をする人々で賑わいました。>鶴巻温泉>渋沢>渋沢(列車接近案内放送)坂井泉水さんが利用していた渋沢駅。>茂原(男性の裸像)日進橋。土橋慶光作「春雷」。>茂原(グリーンセンター跡地)旧海軍慰安所→温泉郷から転業した大衆娯楽場。>茂原(滑走路跡)南北に縦断する滑走路跡。>茂原(3号掩体壕)掩体上に密生している草、後方の木々。>茂原(2号掩体壕)入口は補強されていて、良好な保存状態。>茂原(ちかん看板)塗料の色により日焼け進行に差。>茂原(寿司店)新茂原駅前。ランチメニューもあります。>茂原(新茂原駅)紺地に白文字で書かれたホーロー駅名標。>調布(敷石碑)常性寺。明治11年、布田貸座敷の全盛期。>調布(台北飯店)ひし美ゆり子さん経営の店。>(栗山)>調布(牛乳販売店)名糖牛乳。旧甲州街道沿い。>調布(掩体壕大沢1号)戦闘機「飛燕」のモニュメント。>調布(タコ公園)再建された「タコのすべり台」。>調布(日活撮影所の碑)銀座の並木通りとみゆき通りを再現したオープンセット。>調布(映画俳優之碑)調布映画発祥の地の碑が隣接。>吉原(弁財天の奉納額)昭和30年3月。水常楼が発起人。>吉原(大震火災十週年記念月桂樹)水常楼伊藤常吉が寄進。>吉原(十七回忌追善碑)吉原弁財天。水常楼伊藤常吉が寄進。>吉原(美乃屋)とんかつ専門店。老舗店が建ち並ぶ通り。>大雄山(二十八丁目星宿燈)道了信仰の指導的立場にあった中米楼が寄進。>大雄山(二十一丁目星宿燈)水常楼伊藤常吉が建てた星宿燈。>大雄山(十一丁目星宿燈)参道の両脇に建つ古びた石の道標。>大雄山(道了大薩埵碑)仁王門前左側。「新吉原講」の大文字。>大雄山(道了尊仁王門)二十八宿石燈籠の案内板。>大雄山(大雄山駅)2016年に、赤電の復刻版の運行が開始。>吉原(平賀源内の墓)代表作「風流志道軒伝」は、戯作の快作。>吉原(石燈籠)吉原神社。水常、松葉など有力者が寄進。>吉原(千束いせや)「土手のいせや」の兄弟店。>茂原(人車軌道の展示)人が車両を手で押していた頃。>茂原(サッカーゲームの展示)郷土資料館。>茂原(大和屋食堂)大正時代から続く定食屋。>茂原(ガス溜め跡)赤レンガ造りの基礎。昌平町稲荷神社の境内。>茂原(ガス管橋)ガスタンクの近く。荒瀬橋の南。>茂原(日立安房神社)旧日立製作所茂原工場の守護神。>茂原(浮世風呂)駅前の通り。現在は改装中。>木更津(浅野作造の墓)「浅野様」と呼ばれた民間信仰。>木更津(稲荷森古墳)明治14年の貸座敷新設の時に出土。>木更津(橘神社)周辺一帯は「恋の森」と呼ばれています。>伊勢原>木更津(護岸跡)江戸初期の海の痕跡。>越生>木更津(木更津会館脇の細道)かつて二業組合があった場所です。>木更津(商店街)朝倉ストアーの商店街。>木更津(寿司店)みまち通り。落ち着ける空間。>大雄山>木更津(童謡碑)證誠寺の狸ばやし。伝説を元に詩人の野口雨情が作詞。>谷田部(ブロンズ像)市民ホールやたべ。>谷田部(牛乳店)明治ビタ牛乳。>谷田部(飛行場橋)橋を渡った先はかつての飛行場の敷地。>