佐竹商店街の東側(小島一丁目)の清洲橋通り。

三軒長屋の商店。色は3色です。

2階部分。

後方に、3階建て部分が見えます。

うえの
佐竹商店街の東側(小島一丁目)の清洲橋通り。
三軒長屋の商店。色は3色です。
2階部分。
後方に、3階建て部分が見えます。
佐竹商店街から西へ入った路地。
看板建築の建物が残っています。
銅板建築。
隣のトタン建築の物干し台。
佐竹商店街(台東3丁目)は、江戸時代に佐竹藩の屋敷があたことから名づけられた商店街で、南北300mに及ぶ長大な商店街です。
商店街にある「吉田屋」。
「モスリン店」※1 の看板が掲げられています。」
竹久夢二の作品。
入谷の交差点。遠くには東京スカイツリーが見えます(写真左奥)。
北上野側の交差点の角のビルの2階部分に、「モスリン店」と書かれています。
「モスリン(織物)」という呼び名は、毛斯綸紡織(株)(1896(明治29)年設立)の社名※1 や大阪の「モスリン大橋」という橋の名前※2 に使われました。明治時代の殖産興業政策を連想させる呼び名です。
歩道橋から見たモスリン店。
上野3丁目のビル街。
銭湯の燕湯は、国の登録有形文化財に指定されている貴重な銭湯です。
ビルの1階部分が宮型銭湯となっていますが、建物全体はビルになっている独特の建築です。
銭湯の裏側の通り。
上野アメ横の東側の通りにある玩具問屋「上野屋」。
創業は昭和25年(1950年)です。*1
店舗の前面には、マスク類が所狭しと陳列されています。宴会などで使用するおもちゃ類を販売しているようです。
看板には、「流行・教材・季節・景品・サービス・花火 各種玩具」「玩具問屋」と書かれています。
2階部分には懐かしいアニメなどのポスター類が貼られています。
ボビーオロゴン、美川憲一(コロッケ)。
東上野三丁目のビル街。通り沿いには、仏壇店が連なっています。(写真の左右の店舗はいずれも仏壇店です。)
通りを南へ入ったところにあるラブホテル。
モダンなデザインの入口。
反対側(南側)から。
今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅の東側(東上野三丁目)のビルの地下1階にある純喫茶「古城」。
入口の階段のステンドグラスには、白馬の騎士が描かれています。
店内は、荘厳な雰囲気です。
ココアを注文。
銀座線稲荷町駅近く。
銭湯の寿湯。
本格的な銭湯ですが、内部は改装されている部分もあって快適です。
入口。
東上野五丁目。繁華街からは離れた場所です。
駐車場の脇に設置された犬糞看板。
ブロック塀は、犬がおしっこをかけやすい場所です。
非常識。犬のくそ!
上野6丁目の繁華街にはレンタルルームが数軒点在しています。最近、繁華街で多く見かける業態です。
1階がラーメン店。2階がレンタルルーム。
赤い看板のレンタルルーム
英語と中国語の看板。
上野公園通りを北へ進んだところにある老舗洋食店の「とうかい」。
洋食店のメニューはひとおり揃っています。
店内は質素ですが、非常に落ち着きます。
オムライスとビールを注文。オムライスは小ぶりながらも味は絶品でした。
下町風俗資料館の2階の特別展示(令和元年12月7日~令和2年2月24日)は、資料館が所蔵する「江戸風俗人形」の展示です。
吉原の妓楼「三浦屋」を再現したものです。檜細工師・三浦宏氏による建物(模型)は30年以上も前に制作されたものだそうです。*1
内所」と呼ばれる、妓楼の楼主の居間。
格子を組んだ「張見世」。
花魁。
上野公園にある台東区下町風俗資料館。
1階は大正時代の下町の町並みを再現した常設展示です。長屋の井戸端が再現されています。
物干し竿。
駄菓子屋の店内。
今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅ガード下にあるカレー専門店「クラウン」。王冠のマークが目印です。
開業当時の上野の写真なども飾られていて、歴史を感じます。
自販機で食券を買います。大盛りはダブルまで。チキンカレーはチキンカツではありません。
カツカレー大盛りにさらに大盛り券(1枚)とビールを注文。満足のボリュームでした。
キムチ横丁※1 の中央。通路が交差するあたりに公衆トイレがあります。
広々としたトイレ。
男子小便器の中国語の貼り紙。漢字から、だいたい意味は想像がつきます。
「文明にとっては大きな一歩だ。」
東上野2丁目の「キムチ横丁」と呼ばれるコリアンタウン。※1
2棟の建物の間が生活通路になっています(南側より)。
ディープな雰囲気の通路。
逆方向から。
横丁の中央部。通路が交差するあたりに公衆トイレがあります。
今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
JR上野駅近くのガード沿いの繁華街。
大人のコンビニ店があります。
つい、見上げてしまう大看板。
入口のマネキン。マリリンモンローでしょうか。
上野、アメ横の中心部のY字路に建つ「アメ横センタービル」。
当時の国鉄が東北、上越の新幹線実施計画に伴って、変電所が移転となり、その空き場所に建設されたものです。*1
地下1階は、アジア各国の食材が並ぶ食品街になっています。
中国語が飛び交う、まるで異国のような場所です。
魚の名前は解りませんが、大きな鯛のような魚が1匹600円で売られていました。
上野四丁目に位置する通称“アメ横”は、上野駅と御徒町駅とを結ぶ高架線下500メートルの商店街とアメ横本通りをはさむ西側商店街の集合体です。*1
朝鮮戦争の頃、米兵がアメ横に横流し物資を持ち込んできたこをきっかけに、昭和32年頃になると、南京虫(腕時計)、ライカ(カメラ)、ロンソン・ライター、パーカー万年筆、すべて、アメ横にいったん入荷されて、それから国内の各地に卸されてから市販されました。*2
その後、アメ横は、“舶来の殿堂”などと看板を掲げて外国製品のメッカとなりました。*2
アメ横は、大量に現金で仕入れ、国内に卸す問屋であると同時に、小売り店でもあるというところに、市価より常に3~4割が安く販売することができました。
今回は、上野(東京都台東区)の町並みを散歩します。
上野の動物園通り脇の細い道を入った奥にあるオオクラ劇場(写真奥は不忍池)。
以前は道路に面した場所※1 にありましたが、現在はこの場所に移転しています。
この日は、午後3時から舞台挨拶が予定されています。
2階の特選劇場はオールナイト(朝4時半まで)営業です。
不忍池の中の島の北側に、小さい聖天島があります。*1
ここに「ひげ地蔵」と呼ばれる地蔵があります。「ひげ地蔵」は、島に西側に西面して建っていて、前から見ると杖を持ち、マントを羽織っています。12
この土地がもと藤堂家のもので、この像とほぼ同形の役行者像が、染井にある藤堂家の所有地(現在は赤塚山慶学院乗蓮寺)にあったことから、この像は、山岳宗教の修験道の役行者(えんのぎょうじゃ)とみることができます。*1
聖天島の東側には橋が架かっていますが、中に入ることはできません。
ここから、「ひげ地蔵」の背面を見ることができます。「ひげ地蔵」は、後ろから見るとそのマントは亀頭になり、どう見ても男根そのものです。
日本人はもともと性におおらかなで、その国民性を表している石像としては、道祖神が有名ですが、その道祖神のエロスと生殖の象徴性が地蔵へと転写されたものと考えられます。*2
【参考文献】
*1 原浩三:性神探訪(八重岳書房,1970)P.82-P.84
*2 ウィリアム・R.ラフルーア:水子(青木書店,2006)P.160-P.164
不忍池は、江戸時代、有数の出会い茶屋の密集地帯でした。*1
「江戸名所図会」の「不ばずの池、中島弁財天社」や歌川広重「名所江戸百景」の「上野清水堂不忍ノ池」を見ると、池の中央部に中島が築かれ、中島のまわりを、水面に突き出すようにびっしりと建物が取り囲んでいますが、これらはすべて茶屋で、そのうちの何軒かは出会茶屋でした。*1
このあたりにも、かつては茶屋が並んでいたのだと思います。
現在の池畔には観光客向けの茶店が建ち並んでいます。
【参考文献】
*1 永井義男:江戸の下半身事情(祥伝社,2008)P.32
上野公園にある五条天神社。不忍池がすぐそばにあります。
大きな奉納額(大正十五年と記されています。)
奉納額の右側のほとんどは、待合の店名です。
江戸時代から明治時代にかけて、不忍池畔には、待合茶屋がありました。「東京新繁盛記」には、「名はすなわち茶店にして、その実はみずから酒肉を売るものあり。これを呼んで酔茶店と謂うもまた可なり。あるいは妓と客とを宿し、比翼の枕を貸すものあり。」との記述があり、こうした宿泊は、明治8年頃から盛んになりました。*1
左側には、見番や料理屋の名が書かれています。
【参考文献】
*1 遠藤鎮雄:百年前の東京風俗探訪(学芸書林,1976)P.78-P.79
今回は上野(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
上野駅不忍口前は、昭和雰囲気を色濃く残している場所です。
「上野オオクラ劇場」。”ADULT MOVIES”の看板が目立っています。
現在は、新館に移転しています。
「毎日オールナイト」の看板。
東上野2~3丁目に、キムチ横丁と呼ばれるコリアンタウンがあります。
終戦直後、各地の残留朝鮮人たちは、ひと旗あげようと続々と上京し、凄まじい勢いでアメ横のマーケットに参入しました。彼らは公権力にも果敢に抵抗したため、これに手を焼いた警察当局は、千葉県の実業家・近藤広吉に頼み込み、アメ横に近藤マーケットをオーオプンさせて、浄化作戦に乗り出しました。*1*2
近藤マーケットに追い出された朝鮮人は、東上野2丁目付近に「国際親善マーケット」を建設し、これがコリアンタウンになりました。*2*3
焼肉店をはじめとして、キムチ、漬物、乾物などを売る店などが、密集しています。
各店毎に異なる味つけを楽しめるのも魅力です。*2
キムチ横丁の北側。2棟の建物の間が生活通路になっています。
【参考文献】
*1 塩満一:アメ横三十五年の激史(東京稿房出版,1982)P.107-P.108
*2 山野車輪:在日の地図(海王社,2006)P.106,P.112-P.113
*3 東京焼け跡ヤミ市を記録する会:東京闇市興亡史(草風社,1978)P.94
御徒町駅近くにある芳賀書房上野支店。
店の入口。
2階へ上がる階段。
オリジナルガチャポン。
アメ横の上野駅寄りにビデオボックスがあります。
「ビデオBOX」という屋号のビデオボックスです。
看板に「全自動」と書かれています。
初期のビデオボックスでよく見かけた個室タイプです。
店内には、ボックス(個室)がずらっと並んでいます。ボックスの上部に貼り付けられているビデオのパッケジーを見て、客は気に入ったボックスの中に入って鍵を閉めます。千円札を入れると自動的にアダルトビデオの再生が始まる仕組みです。
アメ横のおとなのおもちゃ屋さん。
店の側面はガラス張りになっていて、商品が陳列されています。逆立ちになっている看板が面白いです。
ビニール製のダッチワイフ。
前と後、2穴です。
御徒町駅近くの昭和通り沿いに、オリエント工業(有限会社ツチヤ商会)のショールームがあります。オリエント工業は、ラブドール(ダッチワイフ)のトップブランドです。
ダッチワイフが注目されるようになったのは、1956年の日本初の南極観測隊が越冬の間の性欲処理方法として、ダッチワイフが使用されたことでした。このミス南極(隊員たちの間では「弁天さん」と呼ばれていました。)はイグルー(氷で作った簡易住居)の中に置かれましたが、使用した隊員は一人もいなかったそうです。*1*2*3
ショールームの入口。
カタログは有償(300円)です。
南極観測隊以降、ダッチワイフの研究は急速に進みました。*3
1979年、上野に創業したオリエント工業は、第一号製品の「微笑」から2007年の発売の「キャンディーガールジュエルディーバ」まで豊富なラインナップを持っています。
ラブドールのカタログには、素材の見本が添付されていますので、実際の感触を確かめることができます。
「ソフトビニール」製と「シリコン」製の2種類があります。シリコン製は、リアルな質感が得られる反面、価格が高い、破損しやすい、などの難点があります。
【参考文献】
*1 高月靖:南極1号伝説(バジリコ,2008)p.26-P.29
*2 日本風俗史新聞編纂委員会:日本風俗史新聞(日本文芸社,1999)p.175
*3 下川耿史:男性の見た昭和性相史 part2(第三書館,1993)P.208-P.209
上野には、パチンコ関連企業の事務所が集中しています。
「秘密戦隊ゴレンジャー」は、いわゆる「戦隊もの」と呼ばれるチームによるヒーロー番組の元祖です。アカレンジャー、アオレンジャー、キレンジャー、モモレンジャー、ミドレンジャーと、ヒーローを色分けしたのが特徴でした。
八代亜紀さん。心の故郷です。
ご存知、遠山の金さん。
逃亡者(のがれもの)おりん。
JR上野駅近くの昭和通り沿いに、スナックが並ぶ小さな路地があります。
ゲイバーなどが多い路地です。*1
江戸時代、上野に隣接する湯島天神界隈は、男色を売る少年たちの陰間茶屋が多い場所でした。また、敗戦後の上野には、街娼(パンパン)など1300人の商売女と約100人の男娼(オスパン)がいました。*1
男の酒場。
【参考文献】
*1 新人物往来社:歴史の中の遊女・被差別民 別冊歴史読本45(新人物往来社,2006)P.271-P.272
今回は、上野(東京都台東区)の町並みと風俗を散歩します。
JR上野駅東側の正面玄関口付近
大きな看板の薬屋さん。
その薬屋さんの看板に負けないくらい大きな「男ビデオ」の看板。
1Fから4Fまでがアダルトショップですが、男ビデオのコーナーがある模様です。