美濃(八幡屋)明治30 年代に建てられた料理旅館

大正時代に入ると、小倉公園から「うだつの 上がる町並み」に延びる御嶽新道界隈には、 多くの料亭、小料理屋が軒を並べ、大衆歌舞伎、剣劇等が上演された小倉座や 検番があり、花街が形成され、一時新富町 と呼ばれた時期もありました。*1

俵町の円通寺南には、「八幡屋」が営まれています。*2

「八幡屋」は、明治30 年代に建てられた料理旅館として朝日楼が営業していましたが、昭和8 年(1933)、八幡屋に店主が代わり、今は料亭として営まれ親しまれています。*2

南側には長い塀が続いています。


■カテゴリ 花街·花街跡 美濃 美濃花街
■参考文献

花街界隈 大正時代に入ると、小倉公園は桜の名所 として県内で名が高くなり、多くの花見客 が集うようになった。

俵町の円通寺南には、「八幡屋」が営まれている。

美濃(美濃町花街)新民謡が流行

今回は、美濃(岐阜県美濃市)の町並みを散歩します。
大正年代から昭和初期にかけては、美濃町花街が最も盛んな時で料亭も多く芸妓数も30余名を数えるほどでした。当時、新民謡(昔からの民謡に対し各地で新しい民謡をつくること)が流行し、美濃町も料芸組合によって、美濃町音頭と美濃町ナントショ(小唄)がつくられました。*1

芸妓置屋「文の家」があったあたり。*2

芸妓置屋「喜久乃家」があったあたり。*2

昭和5年の市街図*2 に、料理屋と思われる、「古金家」「山口家」「玉本屋」「八幡屋」の記載のある通り。「八幡屋」は、同じ屋号で営業している料亭が別の場所にあります。


■カテゴリ 花街·花街跡 美濃 美濃花街
■参考文献
*1市原三三: ふるさと美濃市明治大正よもやま話 (市原三三,1981)

P.149-P.152 大正年代から昭和初期にかけては、美濃町花街が最も盛んだった時代で、料亭も多くあり、芸妓 …

*2東京交通社: *大日本職業別明細図.第200號.岐阜縣 (東京交通社,1927)

・芸妓置屋 文の家、芸妓置屋 喜久乃家 の記載 ・料理屋と思われる、古金家、山口家、玉本屋、八幡屋 の記載