津島(苧之座)苧麻の商人たちの町

現在の津島市天王通り三丁目あたりを苧之座または小之座と呼びました。

このまちは苧(イラクサ科の植物。丈夫な繊維として利用できる)を取り扱う商人たち(座)のまちであったことから名づけられたと考えられます(看板の説明書き)。

「苧」という文字を見ると、「口之津に「苧扱川(おこんご)」という地名があり、そこにあった遊廓は「おこんご遊廓」と呼ばれていた。」ことを思い出します。※1※2
「苧扱川」の地名も苧麻を栽培していたことに由来します。*1

苧麻は、17世紀前半に木綿が庶民の日常衣料としての地位を確立するまでは、庶民にとっての代表的な繊維原料でした。*2

■参考文献
*1永原慶二: 苧麻・絹・木綿の社会史 (吉川弘文館,2004)

P.2-P.5 近代以前の日本の衣料原料で代表的なものは、苧麻(ちょま)・絹・木綿の三つであった。戦国時代以前 …

*2西光知巳: 口之津の歴史と風土 1号 (口之津史談会,2007)オコンゴ考

口之津の行政区、南大泊に「オコンゴ」と呼ばれる地名がある。かつて遊廓があった所としても知られている。

■参考記事

口之津の南大泊に、「苧扱川(おこんご)」という奇妙な地名があります。かつて遊廓があった場所としても知られていま …

口之津の市街から南側に峠を越えると南大泊です。 さらに、西へ進んだところが、おこんご遊廓通りです。*1 このあ …

津島(朝日寿司)津島料理業組合の名簿にも掲載されている老舗

津島の天王通り沿いにある朝日寿司。津島料理業組合の名簿*1 にも掲載されている老舗です。

「江戸前立喰寿司」の看板。今回は、左側にある正面の入口から入ります。

テーブル席と座敷。

ちらし寿司を注文。

■参考文献
*1津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)

津島(御料理「太田屋」跡)紅色

まのや旅館の前の道を南下すると、料理屋の建物に行き当たります。

御料理「太田屋」跡。*1*2

紅色の壁が際立っています。

「料理店」のプレート

■参考文献
*1津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)

*2公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載

津島(料亭跡)電柱に屋号

津島の天王川公園の近く、秋葉神社の裏側に料亭松葉の建物が残っています。*1*2

「松葉引込」と書かれた電柱番号札。

1本北側の通り。居酒屋があります。

反対側から見たところ、

■参考文献
*1津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)

*2公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載

津島(ゑびす旅館)昔の佇まいが残る一画

池須町の北東方向。割烹「一力」の西側に、昔の佇まいが残る一画があります。

「ゑびす旅館」。地図によると現在は「ゑびす寮」となっています。

美しい黒板壁。

旧「桔梗屋」。*1
ゑびす旅館に隣接しています。

■参考文献
*1公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載

津島(料理玉船)かつての料理屋街の名残

津島映画劇場があった一画※1 の北側の一画。

この通りの南側に料理「玉船」の建物が残っています。*1*2

玄関。

当時の電話番号。津島料理業組合の名簿*2 に記載の電話番号に一致しています。

■参考文献
*1津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)

*2公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載

■参考記事

今回は、津島(愛知県津島市)の町並みを散歩します。 津島は、江戸時代から「芸どころ津島」と評判だった花街で、昭 …

津島(料理屋跡)大正末から一大歓楽街に発展

今回は、津島(愛知県津島市)の町並みを散歩します。
津島は、江戸時代から「芸どころ津島」と評判だった花街で、昭和初期、津島町には池須を中心として24軒の芸妓置屋がありました。*1
当時、池須には蓮田と呼ばれる沼地がありましたが、都市計画において、埋め立てが必要との機運が高まり、大正8年に埋め立てが着手されました。埋め立て後、この地に、市場・カフエ・食堂・芸妓置屋・映画館などが次々に建設され、大正末からは津島の一大歓楽街に発展し、戦後も長く繁栄を続けました。*2
現在の「天王通1」交差点にあるマンション付近には、津島映画劇場がありました。*3

旅館紀乃昭、料理持高屋があったあたり。*3*4

この付近には、旅館二葉がありました。*3*4

この道の北側には、旅館竹廻家、料理明月がありました。*3*4

また、終戦後の池須町には、カフェー(いわゆる特殊飲食店)が散在的に営業し、「新天地」と呼ばれていました。*5

■参考文献
*1まちづくり津島: 海部津島郷土研究 第1号 (まちづくり津島,2016.3)

P.92-P.93 大正8年、津島町は池須蓮田の埋め立てに着手した。

*2津島商工会議所: 津島市商工名鑑 1963年版 (津島商工会議所,1963)

P.151 津島料理業組合(広告欄)

*3愛知県警察史編集委員会: 愛知県警察史 第3巻 (愛知県警察本部,1975)

P.392 第四九表 カフェー(いわゆる特殊飲食店)の営業地帯形成状況

*4公共施設地図航空: 津島市 全住宅案内地図帳1970 (公共施設地図航空,1970)

料理屋、券番事務所、旅館、の記載

*5園田俊介: 津島 : 歴史写真集 第2輯 (津島市立図書,2013) 明治・大正・昭和前期の学校写真

江戸時代から「芸どころ津島」と評判であった津島の花街。