津島(苧之座)苧麻の商人たちの町

現在の津島市天王通り三丁目あたりを苧之座または小之座と呼びました。

このまちは苧(イラクサ科の植物。丈夫な繊維として利用できる)を取り扱う商人たち(座)のまちであったことから名づけられたと考えられます(看板の説明書き)。

「苧」という文字を見ると、「口之津に「苧扱川(おこんご)」という地名があり、そこにあった遊廓は「おこんご遊廓」と呼ばれていた。」ことを思い出します。※1※2
「苧扱川」の地名も苧麻を栽培していたことに由来します。*1

苧麻は、17世紀前半に木綿が庶民の日常衣料としての地位を確立するまでは、庶民にとっての代表的な繊維原料でした。*2

《参考記事》

津島(朝日寿司)津島料理業組合の名簿にも掲載されている老舗

津島の天王通り沿いにある朝日寿司。津島料理業組合の名簿*1 にも掲載されている老舗です。

「江戸前立喰寿司」の看板。今回は、左側にある正面の入口から入ります。

テーブル席と座敷。

ちらし寿司を注文。

津島(御料理「太田屋」跡)紅色

まのや旅館の前の道を南下すると、料理屋の建物に行き当たります。

御料理「太田屋」跡。*1*2

紅色の壁が際立っています。

「料理店」のプレート

津島(料亭跡)電柱に屋号

津島の天王川公園の近く、秋葉神社の裏側に料亭松葉の建物が残っています。*1*2

「松葉引込」と書かれた電柱番号札。

1本北側の通り。居酒屋があります。

反対側から見たところ、

津島(ゑびす旅館)昔の佇まいが残る一画

池須町の北東方向。割烹「一力」の西側に、昔の佇まいが残る一画があります。

「ゑびす旅館」。地図によると現在は「ゑびす寮」となっています。

美しい黒板壁。

旧「桔梗屋」。*1
ゑびす旅館に隣接しています。

津島(料理玉船)かつての料理屋街の名残

津島映画劇場があった一画※1 の北側の一画。

この通りの南側に料理「玉船」の建物が残っています。*1*2

玄関。

当時の電話番号。津島料理業組合の名簿*2 に記載の電話番号に一致しています。

《参考記事》

津島(料理屋跡)大正末から一大歓楽街に発展

今回は、津島(愛知県津島市)の町並みを散歩します。
津島は、江戸時代から「芸どころ津島」と評判だった花街で、昭和初期、津島町には池須を中心として24軒の芸妓置屋がありました。*1
当時、池須には蓮田と呼ばれる沼地がありましたが、都市計画において、埋め立てが必要との機運が高まり、大正8年に埋め立てが着手されました。埋め立て後、この地に、市場・カフエ・食堂・芸妓置屋・映画館などが次々に建設され、大正末からは津島の一大歓楽街に発展し、戦後も長く繁栄を続けました。*2
現在の「天王通1」交差点にあるマンション付近には、津島映画劇場がありました。*3

旅館紀乃昭、料理持高屋があったあたり。*3*4

この付近には、旅館二葉がありました。*3*4

この道の北側には、旅館竹廻家、料理明月がありました。*3*4

また、終戦後の池須町には、カフェー(いわゆる特殊飲食店)が散在的に営業し、「新天地」と呼ばれていました。*5

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