高崎繁雄木更津地名散歩新千葉新聞 連載新千葉新聞社
⑪ 六軒町1976.3.11
北片町の突き当りを右に曲がったところが通称六軒町で、「ろっけんまち」と発音する。別に郊外に「六軒町」と発音するところがあったが、後者は戦時〇〇の間、若き海鷲たちがしばらく翼を休めるために作られた止まり木、憩いの施設が六軒あったからで、北片町の六軒町は菓子屋、茶わん屋、荒物屋、下駄屋等が六軒あってきたは新宿東は北町に接していた。
⑥ さかんだな1976.3.5

仲片町公会堂のあたりは昭和10年代は海だったところで、通称八幡屋のカシといい向こう地へ薪炭を運ぶ船着場になっていたが、木更津築港のとき埋め立てられた。
子供心に異様に冷たい雰囲気を感じて通り抜けた俗にいう岡場所の店さきに並んだ女性の無表情な顔を思い出すことがあるが、彼女たちは開店前のひとときを、吾妻の浅野様に参詣し、金光協会におまいりして訪れる自由と幸福の日を千秋の思いで待ったのであろう。浅野様は陸上自衛隊の入口右手に移されたが義軍浅野作蔵を祀った祠である。