青森銀行とみちのく銀行の、両五所川原支店から、旧ロータリー角までの通りは、かつて「ハイカラ通り」と呼ばれていました。この通りは、明治時代は、清志町と呼ばれていましたが、大正時代に高襟(high collar,ハイカラー)町という呼び名も使われるようになり、昭和になってから「ハイカラ町」「ハイカラ通り」と呼ばれるようになりました。*1
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現在は、「ハイカラな街」と街灯に書かれています。
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大正時代は、魚市場や劇場の高砂座がありました。*1
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旧ロータリー。
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【参考文献】
*1 北奥文化研究会:北奥文化 第三十六号(1980)P.85-P.88 「『五所川原の地名』余話」
「五所川原(ハイカラ町)大正時代は高襟町という呼び名。」への1件の返信
この通りにあった栄華飯店の味は、どこかで生き続いているのでしょうか。ここのラーメンの味が忘れられない。かつ丼もうまかったなあ。