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土崎(土崎遊廓跡地)港に和船が入らなくなって急速に後退。

土崎港、新柳町に遊廓が置かれることが許可されたのは、文政4年(1821年)で、文政7年頃には揚屋が12軒もありました。新柳町の最も繁栄したのは明治の中期で、同25年以降になると、港に和船が入らなくなって景気が急速に後退しました。*1

新柳町があったのは、現在の土崎港南二丁目あたりでした。*2

土崎の花街は、いまのスーパーのジャスコのある所にあって、検番、置屋もあって賑やかでした。*3

現在、花街があったあたりは、住宅街となっていて当時の面影はありません。

【参考文献】
*1 佐藤清一郎:秋田県遊里史(無明舎出版,1983)P.219-P.222
*2 木村聡:赤線跡を歩く 完結編(自由国民社,2007)P.69
*3 黒川一男 著:川反いまむかし(無明舎出版,1995)P.19

参考文献

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