館林市史編さん委員会館林の民俗世界館林市史 特別編 第5巻 館林市2012
花街の記憶
P.62 図1-5 昭和初期の肴町にあった商店 置屋、料理店、カフェ、寿司屋の記載。 P.63 旧割烹旅館「福志満」(昭和7年建築)の写真
館林の花街と二業見番
P.60 花街の様子 館林の花街の歴史をひもとくと、明治初期に邑楽織物同業組合が出来たころから、料理・旅籠屋が開店するようになったという(群馬県料理店連合会誌)。さらに、明治二十年頃(1887)ころから「港傳(みなでん)」「林屋」などの料理店ができ、「内芸者」として数名の芸者が置かれていた。館林の花街の興隆は、明治四十年代の織物市場の開設と関連づけられ、「群馬県料理店連合会誌」によると、当時「料理店も芸妓屋も開店者相踵ぎ芸妓の数も五十を算する」とある。さらには、東武鉄道の開通や上毛モスリン・日清製粉の躍進、機業界の発展が花街の興隆へとつながった。 図1-4 昭和10年ごろの館林町内の料理屋などの分布 P.61 明治42年、館林町の堅町(たつまち)に芸妓見番が設置される。その後、大正7年に谷越町の青梅天神裏に新築移転し、昭和13年(1938)、館林町字肴町1704番地(現在の本町二丁目16番2号)に新事務所を建設し、見番が移転する。