安来港誌復刻編纂委員会安来港誌百年前の港町安来の町誌安来港誌改訂編集委員会2009
P.52 (安来節の)成立と芸妓と料理店 今から五十年前、天保年間に藩の頭分を本町の御用係にした。御用係は本町が船舶多数の出入地であることを考え、土地繁盛を図るため遊廓の設置を請願し、遂に認可を得た。それより明治初年までは次第に繁昌したけれども維新後は衰え、また昔の面影を留めていない。 後年汽船の出入りが頻繁になり、再び勢いを挽回して明治24,5年頃は、三十四、五名の娼妓をみるようになったが、始め芸妓を置いて地元の繁栄を導き、商港成り立ちの一助としようとした。後年娼妓が廃止されてから、芸妓の全盛時代となる。 各検番を通じて常に三十名の前後を下らず、一流の絃曲(原曲)に安来節の本場の芸妓である特徴を発揮して、遊客は旅の情を慰めていた。検番は現在、安来検番、福島検番、二岡検番の三軒で、各旅館、料理店とも芸妓の出入りは自由であった。料理店の主なものは、山常、瓢家、飯島屋、森田菊助、たなべ、釜田屋、小浜、十神館、田中屋、立花屋、である。

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