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馬市と産馬通り  馬産の町として知られていた十和田市(当時は三本木町)に、陸軍省軍馬育成所が設置されたのは明治17年(1884)。その後、軍馬補充部三本木支部と改称され、数万頭の軍馬を育成する全国一の規模を誇った。  同じ頃、三本木町馬産組合がつくられ、馬せり(馬市)も盛んになった。 当時は常設市場もなく、稲荷神社広場などで毎年11月2日から約十日間行われた。その間はまるでお祭りのように人が集まり、周辺の旅館・商店は産馬で潤ったため、町の人たちは馬市のことを「おせり」と尊称をつけて呼んだという。  満州事変から支那事変と続いた軍需用の急増で、馬市の期間を延長するほどにぎわった時には、産馬通りには屋台店が立ち並び、人と馬糞のにおいでムンムンしていたという。めでたく「軍馬御用」にあずかった馬主は、料亭に上がり込み、百円の札ビラを切るので料亭の主人は釣り銭に困るほどだった。  戦後、軍馬補充部が解体されると、大規模な区画整理が行われ、正門に通じる道を中心に官庁街が整備された。

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三本木(産馬通り)料亭「一心亭」跡地。町の中心街。