荒居直人ゴーゴー福生アメリカのフェンスのある東京の街からクレイン2002
P.8-P.10 福生で通称「赤線」と呼ばれているのは、福生駅の東口駅前ロータリーからわずか100m(原著では"歩")ほどがその入口となる。今のような歓楽街を形成する以前の赤線地域は、桑畑と麦畑が一面に広がり、里山の風情がそのまま残っていた。その一角に小料理屋の小松屋がポツンとあり、ほかにはダンボール箱製造会社とタバコ屋があるだけだったという。そんな田園地帯に突如、赤線はつくられた。 1951年、52年当時、娼婦の数は約700人という記録がある。「ハウス」の建設とともに、売春も戦後の「福生発展」の原動力となっていったのだ。 P.9 通称「赤線」街の写真

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福生(スナック街)旧赤線街の東隣の通り。