朝日新聞社会部神田川未来社1982
中野新橋 料亭がマンションに
神田川は中野区の南はずれを横切っている。優雅な名前の橋がいくつも架かる、花見橋、その上流は、桜橋、そのまた上流に渡された橋は、ひとつだけ、たいへん立派な造りである。 新橋を南から北に渡る。橋のたもとから、もう黒塀が高々と連なり、白いあんどんも見え、ここが料亭街だとすぐわかる。擬宝珠つきの橋にあやかり、この花街は中野新橋の名で通る。酔客たちは、昔から「中新」と短くちぢめて呼ぶ。 ことしの夏、この料亭街のど真ん中から、旅館ふうの、どっしりとした構えの二階屋がひとつ、姿を消した、三業会館、いわゆる見番の建物である。見番には中野新橋芸能学校という名の芸ごと専門の教室が併設されていた。 料亭街の出発は昭和の初め。花街としては振興組に入る。客筋は近辺の中小企業の社長さんたちが多かった。繁栄の頂点は、昭和三十六年、地下鉄。方南線の一部が開通し、料亭街の入口に駅できたときだろう。中新の景気にかげりがあわわれたはじめた原因はいくつかある。世界一の歓楽街、新宿がすぐ近くにひかえているせい、との見方もそのひとつだ。そこへ札束攻勢をかけたのがマンション業者である。 中野新橋料亭街のスケッチ:橋の北側に、三業会館と思われる二階建ての建物。

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中野新橋(三業会館跡地)橋の四隅に立派な擬宝珠。