福富太郎昭和キャバレー秘史河出書房新社1994
東京のカフェーもエロ・サービス
P.47 関東大震災から昭和5年ころまでは、キャバレーという言葉はまだなく、すべてカフェーと呼ばれていた。6年には東京にも大きなカフェーができたが、それまではどれも小規模だった。そこへ、大阪で「赤玉」などをやって当てた榎本正・明三兄弟が、女給が何百人もいるような「銀座会館」「美松」などの店をつくり、東京中が席巻された。

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銀座(キャバレー美松跡地)現在の三越百貨店新館がある場所。