もばら風土記編集委員会掩体壕が語る茂原の歴史写真でみるもばら風土記シリーズ 26茂原市教育委員会教育部生涯学習課2007.3
茂原の掩体壕群の特徴

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太平洋戦争末期、国内の飛行場数は陸軍約180、海軍約120であった。そのほとんどにおいて掩体壕が建造されたものと思われるが、陸海軍飛行場の多くは、戦後その役目を終えて民間に払い下げられ、戦後60年以上を経て施設のほとんどは解体されている。しかし、掩体壕は作りが頑丈で破壊するのも容易でないことからそのままの形で残されている例が少なくない。これまでの調査では、全国40数か所に100基を超える掩体壕の残存が確認されている。1か所に多数の掩体壕が残存している例としては、茂原市の11基を筆頭に木更津市の10基、大分県宇佐市の10基、高知県南国市の7基、北海道根室市6基などがある。

茂原の掩体壕群は都市化が一定程度進んだ農住工混合地帯に立地していることが第一の特徴である。民間払下げ後の二次利用の事例としても見るべきものがある。第二の特徴は戦時飛行場の景観をよく残していることである。戦時下の飛行場は施設の「分散」「偽装・隠蔽」「耐弾化」を三原則として作られたが、茂原に残る掩体壕群はその特徴を端的に今に伝えている。掩体上に覆土が残り、そこに草木が密生しているものが残存しているが、これこそが 偽装・隠蔽されたもともとの姿である。コンクリート製の掩体がそれぞれ違う方向に開口して広域に分散している様子は、滑走路跡、誘導路跡とともに戦時の飛行場の姿をリアルに伝えるものである。

海軍茂原航空基地について

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茂原市文化財審議会では残された鉄網コンクリート製の掩体壕に、1号から11号の遺構番号を付けた。また、1995年7月には、戦後50年事業の一環として、1基の現存する掩体壕のうち、遺構番号3号の掩体壕の土地を借り上げて説明板をつけた。