水俣市史編さん委員会新水俣市史民俗・人物編水俣市1997
水俣の地名
大園の塘(うぞんのとも)
P.1017 大園の塘(うぞんのとも) 古賀川の左岸、永代橋際から上流に向かった川べり一帯を大園の塘といい、遊廓街として有名であった。あまり広くもない(当時としては広い道であったかも知れない)道の両側には妓楼が並び、永代橋を境として古賀ん塘とは対照的な賑わいをみせていた。すなわち、古賀ん塘が昼に活気をみせれば、大園の塘は夜に活気を見せるところであった。大園の塘を語るときジュリ屋抜きでは真の姿は語れない。 水俣では妓楼のことをジュリ屋と呼んだ。女郎屋が訛ったものだろうが、そのジュリ屋で働く友情をヌスカイと言った。「主買い」が転じたものと言うが定かでない。ジュリ屋の近辺には小料理屋が何軒かあり、ここで働いているまだ幼な顔の娘たちもゆくゆくは春を売る運命にあった。貧しい家庭から親の借金の形(かた)に働いているのである。大正初期までは小学6年生までが義務教育であったので、貧しい家ではそれを待って娘を水商売の店に預けた。娘たちは親の借金を身をもって償うのであるが、ただ店の仕事をするだけでは高額の借金は減らない。そこで15、16にもなれば客をとらされ、経験を踏んで18歳になると本店(ジュリ屋)に移っていった。