関根弘小説吉原志講談社1971
P.50-P.51 新吉原女子保健組合のホールが昭和29年の7月23日に落成しました。この落成式の日に成川敏が感謝状を送られているんです。その感謝の理由を読むと従業婦に組合をつくらせ、公娼廃止後の吉原の存続を図った立役者が彼だったことがわかります。 感謝状 戦災の灰燼未だ収まらず人心動乱の内に新中分を迎えて為す術を知らず。この秋に当たり決然起こって日本民族の純潔を叫び吉原の復興に挺身して里余に互る焼灰飛舞する中を厭わず占領軍司令部に日参して国情を説き民間外交の実をあげ更に軍司令部の命令に基づく貸座敷営業廃止の通告を受くるや将来を慮りて業者を説得前借を棒引きして貸座敷の解散を断行す。 然共吉原を離れて生活の途なき従業婦の人身売買、搾取拘束防止し、相互扶助を期する為業者と相対的地位に置くべきを覚りて、昭和21年6月、新吉原女子親睦会を結成。更に鞏固なる独立組合たらしむべく都下をはじめ全国に檄を飛ばして同年12月浅草公会堂に於いて都下連合会を結成、以て翌年1月全国連会を結成さる。同年2月、女子保健組合と改称。全国性病予防自治会と併行する自衛団の基礎を確立せられて今日の精華を見るに至る。