柳田国男 一目小僧その他 角川学芸出版 2013.1

ダイダラ坊の足跡

東京市は、わが日本の巨人伝説の一箇の中心地ということができる。われわれの前住者は、大昔かつてこの都の青空を、南北東西にひとまたぎにまたいで、歩み去った巨人のあることを想像していたのである。こうして、何人が記憶していたのかはしらぬが、その巨人の名はダイダラ坊であった。

二百五十年前の著書『紫の一本(ひとひも)』によれば、甲州街道は四谷新町のさき、笹塚の手前にダイタ橋がある。大多(だいた)ぼっちが架けたる橋のよしいひ傳ふ云々とある。即ち現在の京王電車線、代田橋の停留所と正に一致するのだが、あのあたりには後世の玉川上水以上に、大きな川はないのだから、巨人の偉績としては甚だ振はぬものである。しかし村の名の代田(だいた)は偶然でないと思ふ上に、現に大きな足跡が残っているのだから争はれぬ。私は到底その旧跡に対して冷淡であり得なかった。七年前に役人をやめて気楽になったとき、さっそく日を卜してこれを尋ねて見たのである。ダイタの橋から東南へ五六町(約五四五、六五四メートル)、その頃はまだ畠中であった道路の左手に接して、長さ約百間(約百八〇メートル)もあるかと思う右片足の跡が一つ、爪先あがりに土深く踏みつけてある、と言ってもよいような窪地があった。内側は竹と杉若木の混植で、水が流れると見えて中央が薬研(やげん)になっており、踵(きびす)のところまで下るとわづかな平地に、小さな堂が建ってその傍に涌き水の池があった。即ちもう人は忘れたかも知れぬが、村の名のダイタは確かにこの足跡に基づいたものである。