浦安町誌編纂委員会 浦安町誌 上 浦安町 1969

料理店

若い衆は昔から漁師町の通弊として飲食にふけるものが多い。従って町内には若い衆を相手とする料理屋がたくさんあった。町の人は料理屋のことを「ごったくや」と呼んでいたが、その語源は「狐宅屋(こたくや)」が訛ったものであるという。大漁が続いたり、漁の休みのときは、ごったくや大変な繫昌である。若い衆の歓楽の場として栄えたごったくやも、太平洋戦争中時局を反映し、ほとんど閉鎖されてしまった。

観光

浦安の海は一帯に遠浅で、アサリ、ハマグリ、ハゼなどの水産物に恵まれ、潮干狩りやハゼ釣りに適し、都心から一時間前後のところにあることから東京方面からの行楽客が多い。特に大正8年から高橋、浦安間に通船が往復するようになってからは、ますます来遊する者が多くなって日曜、祭日ともなれば町内は一段と活気を呈し、行楽客でいっぱいである。江戸川筋には行楽客を対象とする遊船宿がたくさんある。
昭和9年に猫実東地先海面に船溜りができたが、その後この船溜りは海楽園と呼ばれるようになり、行楽客のための売店、休憩所などの施設が設けられ、園内で水泳を楽しむ者や、ボートを漕いで遊ぶ若者たちで賑わった。