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浦賀の鏝絵(こてえ) リンク

左官職人が、土蔵などの壁の仕上げに鏝(こて)と漆喰(しっくい)で作り上げたレリーフを鏝絵と呼び、江戸時代の中頃から数多く作られ、浦賀にも数点が残されています。干鰯問屋(ほしか)と廻船問屋で栄えた浦賀には、土蔵造りが盛んであったことから漆喰壁を塗る左官職人も多く、中でも川間(西浦賀)に住む石川善吉は「三浦の善吉」として「伊豆の長八(入江長八)」とともに、全国的に知られる漆喰細工の名人でした。浦賀には善吉とその息子吉蔵(9代目)、梅尾(10代目)の作品が残っています。また、岩田辰之助、岩田徳太郎兄弟の作品も残っています。

浦賀の蔵 リンク

浦賀は干鰯を始め多くの品物を全国に売りさばく町として賑わい、今でも東西の浦賀に残っている15棟前後の蔵に昔の名残を見ることができます。
蔵は大切なものを盗難や火災から守るもので、壁の厚みが一尺ほどあり、耐火建物として様々な工夫がされています。
浦賀には江戸後期に造られた漆喰塗り土蔵と幕末・明治期に造られた石蔵(房州石を使用)が混在しています。
土蔵は漆喰の外壁が関東大震災で被害を受けたため周囲にトタンを巻いており、外からでは分かりにくくなっています。石蔵は比較的そのままの形が現在も残されています。

愛宕山公園 リンク

市内で一番古い公園で、ペリーの浦賀来航の際に交渉にあたった浦賀奉行所与力・中島三郎助の招魂碑が1891年(明治24年)に建立された場所を、公園として整備したものです。
また、太平洋横断に成功した最初の日本船である咸臨丸の出港記念碑も建てられており、歴史を感じさせます。
与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑もあり、園内から一望できる浦賀港の風景も魅力です。

のの字坂

JR田浦駅を下りて国道16号線を横切り、まっすぐに山の方向へ歩くと、約5分でこの道が立体交差するところが「の」の字になっていることから、土地の人が呼ぶ「のの字坂」だ。戦前、城の台砲台を築き、物資を運び上げるためにつくられた道路である。道をつなぐ陸橋を「のの字橋」(いわゆるループ橋)といい、はじめは橋も木製であったという。ループ(輪)は、直径40mぐらいで、輪の中は児童公園(田浦1丁目公園)になっている。桜の木が植えられ、春は美しい。1回転半以上まわって登った先は、旧浦賀道・十三峠となり、東京湾を望むハイキングコースとなっている。

マンホール蓋 リンク