加藤晴美 松岸地区における遊廓の成立と展開 筑波大学人文社会科学研究科歴史・人類学専攻歴史地理学研究室 歴史地理学調査報告 11号 2004.03 リンク

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明治31年(1898)に総武鉄道開通を記念して銚港神社に奉納された石灯籠には松岸遊廓の貸座敷、引手茶屋の名が刻まれており、貸座敷では開新楼、新盛楼、稲松楼、銚港楼の4軒、引手茶屋では、大阪屋、津の国屋、平田屋藤助の3軒が確認できる。貸座敷のうち開新楼は経営不振に陥った貸座敷を買得した宇野澤宇兵衛によって開業されたと伝えられている。

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明治後期以降、昭和16年(1941)の遊廓解散まで松岸遊廓において営業を続けていた貸座敷は、第一、第二開新楼の2軒であった。特に第二開新楼は、建物の壮麗さから、昭和初期の遊廓案内書(全国花街めぐり)では「龍宮城」などと形容されている。
開新楼を経営する宇野澤家は幕末期に松岸に移住してきたと伝えられ、貸座敷開業以前には女芝居の興行を手がけていたという。第一開新楼跡は現在結婚式場となっており、開新楼の中庭の一部が現在もそのまま残されている。

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良福寺にある宇野澤宇兵衛の墓は、寺の中でも最も大きく作られており、松岸における宇野澤家の存在を印象付けている。