長田敏行 イチョウの自然誌と文化史 裳華房 2014.2

イチョウの精子発見は、なぜ大発見か

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明治政府は西洋文化を取り入れ近代化する方向に進んだ。それは同時に科学技術の導入による殖産興業であり、今日的表現では、テクノロジー・トランスファーである。そして1877年(明治十年)、東京大学が創立されたが、そこでも主目標はキャッチアップ(先進諸国に追いつくこと)であった。理学部での教授陣を例にとってみよう。教授は15名いたが、そのうち12名までが、いわゆるお雇い外国人教師であり、日本人はわずか3名であった。

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やがて、日本人の独自の科学的成果ももたらされるようになった。まずは北里柴三郎の破傷風菌の発見が挙げられるが、これらはベルリン大学のロベルト・コッホ研究室でなされた。また、志賀潔の赤痢菌発見は、北里研究室で行われた。この点、平瀬作五郎のイチョウの精子発見、また、続いて示された池野成一郎によるソテツの精子発見は、完全に日本で行われたものであり、当時の西洋人にはなし得なかったことが、日本人によって行われたことから、最初の大発見であると言っていいであろう。

この文献を参照している記事

白山(精子発見のソテツ)日本人が成し遂げた世界的快挙。