武井順一市川市国府台における砲兵隊・工作隊の記録武井順一1997.1
口絵、はじめに
国府台周辺の軍事施設今昔

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⑩高射砲の台座跡 国府台四丁目
里見公園の裏門を出て約500メートル歩くと、下り坂があって江戸川ぞいの道と合流する。坂を下る手前左の台地に、台座跡が残されている。陸軍の用地を示す石柱が一本ある。高さ1メートル位で左側にあり、左をみると白い柵が輪になっている。この柵の中に高射砲がすえつけられていた。ここの高射砲は使われたことはなかった。見張り所跡かも知れない。

根本商店街と市川広小路

市川市は、軍隊がきて発展した町である。その中心が根本商店街である。「根本」とは、根の本であり、一番はじめを意味している。
根本商店街には軍に物資を納入する店があり、兵を相手とする店があった。小林トーフ店、秋元八百屋、宇田川薪炭店などは軍に納入した店である。
常盤湯の裏側に、2~3軒飲み屋があり、兵を相手とする女達がいた。「モンパリー」という店もあった。ぜんざい屋も2軒位あった。

砲兵隊・工兵隊の記録

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1886年(明治18年)、東京から陸軍教導団が市川市国府台に移転し、市川の砲兵隊の幕開けとなった。歩兵大隊が移転、病院が現在の里見公園内に新設された。(略)教導団が来たので、市川~松戸間に広い道が必要となり、この頃、千葉町から囚人達をつれてきて道路建設に従事させた。これが現在、旅団坂といって和洋女子大学前へ通じる坂の道で、松戸へ抜ける新道(松戸街道)である。従来の道は巾がせまく、筑波大学付属ろう学校内を通り、市川一中をぬけ、東京医科歯科大学の裏門にで、理髪店の間のまがりくねった道が松戸にぬけていた。戦国時代、国府台の合戦で、小田原の北条軍と対戦した里見軍は、この道を通って松戸に敗走した。現在も「東桜陣」や「西桜陣」と言った地名が残っており、里見軍が陣をしいた場所である。