網代茂水府巷談新いばらきタイムス社
明治、大正期の歓楽郷 富田、青木新地 芸者衆にモテた水雷稲荷

P.331
今も残っている水雷稲荷神社が、青木新地(富田新地)の昔を語る唯一のものであろう。この稲荷は、はじめ下市の蓮池町(現在の城東四丁目)にあった。明治の豪商・豊田彦一がこの地を買収して富田新地とした際、移したものであった。明治28年奉納の石灯籠や手水石これらは米各取引所仲人やその頃、裡信願寺辺りにあった芸妓屋の名が刻まれている。この富田新地の土地をゆずりうけたのが青木才次郎であるという。
P.332
中央ビルの角地に旅館「伊勢彦」があった。その隣が青木材木店。青木康夫さん(青木才次郎の孫)の父親が経営していた。