東京人 30(11)2015.9
特集 戦後七十年 ヤミ市を歩く。 復興はここから、見上げた空は青かった
初田香成新橋戦後すぐ、母と通ったヤミ市は大変な賑わいでした。

終戦後すぐに成立し、玄人露店商が多かった。
当時、新橋・銀座・丸の内一帯の不良グループの親分だった松田義一は、西口に新生マーケットを建設する。同マーケットは、総2階建てで、建坪1998坪、合計288店舗が入居予定だったが、完成前の6月に松田は暗殺され、マーケットもよく年からは不審火が相次ぐなど不振に陥り、非合法の飲み屋が増えていく。それはサラリーマン向けの飲み屋街という現在の性格が形成される契機にもなった。現在同所に建つニュー新橋ビルは、こうした新橋の歴史を象徴する存在だ。なお、新橋東口にも在日外国人が経営したと思われるものも含め、複数のマーケットが成立し、一部は現在の新橋駅前ビルに受け継がれている。