望月安雄泉町物語水戸の今昔泉町商店会1995.8
青木新地

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泉町二丁目、今の第一勧業水戸支店横の路地を入ると、五軒町の日本たばこ産業KK水戸ビルの建物に突き当たるが、その手前に十字路があり、目の前にそそり立つ伊勢甚と京成のパーキングビルのあたり、今はその一帯が味気ない駐車場地域になっているが、ここはもと青木新地と呼ばれて、泉町近辺では一種特別な雰囲気を持った場所だった。
明治の末、豪商富田彦市という人が、ここに稲荷神社を勧進して水雷稲荷という社を建て、その南方一帯に、「時田屋」とか「時泉」などという料理屋(待合)や芸妓屋を置いて、夜の歓楽街にしたものだという。
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明治45年に、この一帯は青木才次郎という建設業者のものとなって、名も富田新地から青木新地に変わった。
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もと青木新地あたりの現在(写真)。水雷稲荷があった。

この文献を参照している記事

水戸(青木新地)かつての歓楽街富田新地。