鉱山の歴史を記録する市民の会鉱山と市民聞き取り日立鉱山の歴史日立市役所1988
戦前の銀座通り
助川旭町界隈高萩トキさん聞き語り
宮田栄町界隈と栄座のこと酒井実さん聞き語り
花柳界宮田栄町界隈

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日立鉱山の発展に伴って形づくられていった日立の花柳界は、大きく分ければ、次の3つの地区がある。第一は劇場栄屋を中心として京成された宮田栄町界隈。第二は、助川駅(現在の日立駅海岸口)前に形成された旭町界隈。第三は映画常設館である松竹館を中心とする助川栄町界隈(栄町付近)である。助川栄町界隈については、すでに、1935(昭和10)年、この地区を二業指定地区とするための陳情運動が展開されていることによっても、花柳地区であることは明瞭であるが、資料が皆無に等しい。
宮田栄町の花柳界は、芝居小屋である栄座の存在と相まって花を咲かせていった。
劇場栄屋は、木造二階建て、最大収容人員1800名、花道2つ、七・三にせりあがりを持ち、最高の粋を集めて建てられた。共楽館よりも4年も先に、すなわち本山劇場と同じ年1913年(大正2年)に創建された。

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宮田栄町は旭町とは対照的で旭町が芸妓の街であれば、ここは酌婦と女給の町であった。女給は客を取れなかったが、酌婦は客を取ることができた。旭町と違って、栄町には芸妓専門の置屋は少なく、料理屋兼芸妓屋があった。日立のカフェの女給が全員総出で歌や踊りの芸をやるのも栄座であった。
神峰神社に向かう六号国道より西側、宮田町三丁目と四丁目の各一部分を取り込む栄座を中心とした通称栄町は、庶民の街として、酌婦や女給たちの住む歓楽街、夜の街として、独自の風俗文化圏を形づくった。

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しかし太平洋戦争で栄町は、灰燼に帰し、戦後、売春防止法の成立を待つまでもなく、再び復活することはなかった。