山本鉱太郎旧水戸街道繁盛記 下巻崙書房出版1995.4
筑波山から稲吉宿・石岡へ

P.197
旅籠の梅屋(野口)や長嶋屋(関)も残っており、長嶋屋には昔、何人もの遊び女がいたという。名主のあたりが今「一本槍酒屋」になっている。筑波山麓の北条の「一本槍」とも関係があり、屋根のひさし下には漆喰で「一本槍」と大きく書かれている。

牛久宿から城下町土浦へ

P.112
無縁仏となった遊女たち

荒川沖の街道沿いに今も旧家がかなり残っている。佐野家は荒川沖郵便局の右隣にあって今もカヤぶきのままで、しかも庭が広大である。

江戸時代本陣がなかったせいか遊郭が栄えた。サカモトストアのところは元女郎屋さんだった。亡くなったお女郎たちの墓は、天満宮の裏手にあると教えられ、行ってみた。荒れ果てた空地の一角に、嘉永、寛政、安永と刻まれた約百基ほどの無縁仏が折り重なり、なかば埋もれて傾き、風化し、どれが遊女の墓かついてにわからなかった。

我孫子宿と手賀沼