山梨県立図書館甲州文庫史料 第1巻社会風俗編山梨県立図書館1973
甲府遊廓史料

P.283
甲府において遊廓としての性格がはっきりと現れてくるのは、明治3年11月、甲府役所からも命令で、旧来の柳町から増山町に移り「新柳遊廓」と称してからのことである。
同9年、貸座敷制度ができると、遊廓の各業者は庭園などに趣向をこらし、知識人の社交の場としても利用されるようになり、また、「新柳町細見」「さと鴉」といった出版物も発行されるなど、甲府遊廓の隆盛時代となった。
一方、明治20年代になると、キリスト教思想に基づく廃娼運動が全国的に盛んとなり、このころ公娼を廃止する県もいくつかあった。明治40年2月、廓内から出火した上府中大火で、まもなく穴切(宝1丁目)に移転し「穴切新地」なる遊廓に生まれ代わった。