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歴史と文化に彩られた臨江閣つないできた歴史をこれからも2・3ページ リンク

臨江閣建設へ地元民の力
臨江閣を構成する本館、別館、茶室の3つの建物のうち、最初に建てられたのが本館。明治17年に群馬県令の楫取素彦(かとりもとひこ)が高位高官を迎えるための迎賓館建設を提言したことが、建設のきっかけになったといわれています。この頃の前橋は製糸業が一大産業。多くの生糸商人がいました。初代前橋市長の下村善太郎もその一人。有志と共に県庁誘致に立ち上がり、県都としての発展の礎を築きました。本館も、同じく下村善太郎などの地元有志による寄付で建設。そしてこの地元有志の熱心な協力への返礼として、楫取素彦や県庁職員からの募金で茶室が建てられました。本館と茶室は当時の県庁職員が設計。本館を地元の職人が、茶室を京都の宮大工・今井源兵衛が施工しました。

多くの貴賓を迎える場に
そうして建てられた本館は、明治26年に明治天皇の行在所として利用されたのをはじめとして、さまざまな皇族の宿泊施設として利用されました。一方で別館は、明治43年に本市を主会場に開催された一府十四県連合共進会(博覧会)の貴賓館として建てられました。共進会は60日間開催され、それまで行われた共進会の中では最大規模でした。当時前橋の人口が4万5,000人だったのに対し、この共進会には94万4,000人が来場。別館は行事や大会、夜会などに利用され、当時の首相である桂太郎をはじめ、大隈重信や渋沢栄一など多くの貴賓が訪れました。そして共進会終了後、別館は本市に引き継がれました。

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前橋(臨江閣)明治43年に貴賓館として建てられました。