根岸省三高崎郷土花街史P.51-P.52,P.61吾妻書簡1981
倉賀野女郎衆というもの

P.76
倉賀野宿の遊女屋の女郎が倉賀野宿のあった中山道に太鼓橋を作ったことは有名な話である。太鼓橋は初め板橋で、流し長さ弐間三尺、幅九尺で、一名「めがね橋」ともいい、石をうまく組み合わせて半円形にして石橋を中山道に作ったもので、このあたり昔は倉賀野城の遠がまえで、大きな堀割があったので、この上に掛けられたのである。このとき、倉賀野宿の女郎が200両を出した。200両といえばこの時代では10両で首が飛んだというから大金であったが、享保3(1718)年に大水のために橋が流出したのをみて、幕府の道中奉行に願い出て作ったもので、享保3年の8月には完成した。そのとき寄進した女郎の名がこの橋桁に彫られてあった。

この文献を参照している記事

倉賀野(太鼓橋跡)遊女屋の女郎が200両を出してつくられました。