根岸省三高崎郷土花街史P.51-P.52,P.61吾妻書簡1981
柳川町(芸妓屋街)

P158
割烹前田屋。
(芸妓屋も屋号でしるしたのもあるが、その他氏名のあるものもおおかた芸妓屋である。)

高崎宿の料亭

P.182
明治となってから産業が発達し、高崎でも養蚕業、製糸業、絹織物が軌道に乗ってきたのと、明治五年に歩兵第三連隊の第一大隊が廃城になった高崎城内に置かれるようになり、今までの腰掛茶屋や旅籠屋ではどうもスムーズでないため、料亭が作られるようになった。
P.183
喜多町、寄合町、本町を中心として花街も発展し、さらに柳川町を中心とした乙種料理店街の拡充によって、この方面は繁栄を始めた。乙種料理店というのは従来の料理店を甲種とし私娼の宿を乙種料理店として区別したもので、乙種料理店が通称だるま屋と言われた私娼街である。

柳町かいわい地図(旧乙種料理店街)

P.235
高崎電気館裏:「紅つる」