田宮均於岩稲荷田宮神社田宮均

この神社の「於岩」というのは「お岩」という江戸時代の初期、江戸の四谷左門町で健気(けなげな)一生を送った女性のことである。お岩は徳川家の御家人の田宮又左衛門の娘で夫の田宮伊右衛門とは仲のいい夫婦だった。お岩夫婦は家計を支えるため商家に奉公に出、田宮家の庭にある屋敷神を信仰したおかげで、夫婦の蓄えも増え、田宮家は復活した。この話はたちまち評判になり人々は屋敷神を「お岩稲荷」と呼んで信仰した。

お岩という女性が死んでから200年がたった江戸後期。鶴屋南北は根強い人気の「お岩」に注目し、「お岩」という名前を使って歌舞伎にすれば大当たり間違いない、と見当をつけた南北は、お岩があんな美人では面白くない。どきついまでの脚色が必要だと考え、江戸で評判になったいろいろな事件を虚実取り混ぜて創作したのがお岩の怨霊(おんりょう)劇「東海道四谷怪談」だった。

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荒木町(於岩稲荷田宮神社)実在の「お岩」は貞女の鑑。