高岡(羽衣遊廓跡)明治33年の大火直後に免許地として発足

羽衣遊廓は、明治33年の大火直後に免許地として発足しました。
現在の高岡市五福町には、道路が格子状になっている一画があります。

古い旅館の建物。

「貸席」と書かれています。

北側から。

【参考文献】
*1 高岡史談:高岡史話(高岡史談会,1965)P.45

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高岡(白ポスト)末広町

今回は、高岡(富山県高岡市)の町並みと風俗を散歩します。
高岡駅前から北西方向へ延びる大通りは、町の中心部です。

歩道に、白ポストが設置されています。駅前でない場所に設置されているのは、珍しいケースです。

裏側に「白ポスト」の表示。

富山県内では、チューリップがデザインされた白ポストを多く見かけます。

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越中大門(スナック店)青色の円柱

越中島の中心街。中町の交差点付近は、古い商店の建物が残っています。

バー「エデン」だった建物。*1
鮮やかな青色のタイルで装飾された円柱が残っています。

遊廓があった倉町の近く。
ドアの造りが印象的な和風のバーの建物。*1

【参考文献】
*1 日興出版:新湊市・(附)小杉町・大門町・大島町(日興出版,1971)P.68

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越中大門(遊廓跡地)倉町周辺

大門町に遊廓は、横町(いまの錦町)と倉町周辺にありました。*1
和田川沿いにある倉町は、風情のある町並みが残っています。
昭和初期の大門の町並み図*2 によると、このあたりには、料理屋の浅山楼、渋谷楼、深川楼、勇権楼が建ち並んでいました。

大きな木造母屋。

現在の、医院の屋号と料理屋時代の屋号が一致しています。*2

和田川からの遠望。

【参考文献】
*1 大門町教育委員会:大門町史(大門町,1981)P.P.638-640
*2 大門史談倶楽部:見る、知る、伝える大門地誌(大門史談倶楽部,2015)P.46

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越中大門(大門町遊廓跡地)免許地ではなく私娼地

北陸本街道に面した大門町に遊廓ができたのは、あきらかではありませんが、明治18年に高岡米商会所が創立され、取引が一層盛んになったころにできたとも言われています。昭和8年前後には横町(いまの錦町)と倉町周辺には20軒もの置屋と料亭があって、芸妓は200人近くもいました。その頃が大門町遊廓の最盛期でした。元来、大門遊廓は、免許地ではなく私娼地で、大衆的で安価に遊べるという評判から富山の桜地町・東新地、高岡羽衣遊廓につぐ繁盛ぶりで、県下各地から客が登楼しました。*1

昭和28年元旦の庄東タイムスの広告には、大門二業界として、清九楼、ひさご楼、城光楼、新京楼、文人楼、深川楼、伏木楼、二口楼、山田楼、村井楼、第二東京楼、大松楼、河崎楼の名があります。*2

現在の大門タクシーのあるあたりから現在は道路となっているあたりに、敷島楼、城光楼、伏木楼、大松楼の4軒が建ち並んでいました。*3*4

東京楼(その後旅館東京)があったと思われるあたり。*3*4

【参考文献】
*1 大門町教育委員会:大門町史(大門町,1981)P.638-640
*2 門町町史編集室:大門町史.続巻 (大門町,2005)P.49
*3 大門史談倶楽部:見る、知る、伝える大門地誌(大門史談倶楽部,2015)P.18,P.46
*4 日興出版:新湊市・(附)小杉町・大門町・大島町(日興出版,1971)P.68

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越中大門(大門赤湯鉱泉)マリア像

今回は、越中大門(富山県射水市)の町並みと風俗を散歩します。
越中大門駅から県道322号線を西に進んだところに、大門赤湯鉱泉の看板が目に飛び込んできます。

和帳折衷の佇まい。

入口。

なぜか、マリア像が安置されています。

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富山(総曲輪通り)モガ・モボからやがてエロ・グロの時代へ

富山市街の商店街の総曲輪(そうがわ)通りは、長さ約450mの商店街で、アーケードの両側には、商店、飲食店が並びます。

大正中頃から昭和にかけて、繁華街につきものの食堂やカフェーが開店し、総曲輪通りは賑わいを見せました。昭和4年には、県内のカフェーは200軒、女給は563人を数え、モガ・モボからやがてエロ・グロの時代へと移ろいましたが、昭和2桁になると軍国化の波に飲まれて、赤い灯青い灯りは街からひとつずつ消えていきました。*1

ウスイ時計店のあたりには、カフェー・ユニオンがあって、女給7~8人で、女のサービスよりもむしろ料理に重点を置いていました。*1*2

トラヤ帽子店があったあたりには、カフェー「万歳」は、3階建ての堂々とした店で、女給も10人以上いました。*1*2

【参考文献】
*1 堀江節子:総曲輪物語(桂書房,2006)P.2,P14-P15,P.72-P.73「昭和34年発行の富山・高岡市住宅詳細図より総曲輪付近」
*2 八尾正治,水間直二,山岸曙光:総曲輪懐古館(巧玄出版,1977)P.113-P.114

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富山(新世界)古びた横丁

いたち川にかかる東橋の西側。
古びた横丁があります。

「全国女性街ガイド」に名前の出てくる「新世界」の看板が掲げられています。*1

現在の居酒屋屋スナックが営業中です。

【参考文献】
*1 木村聡:赤線跡を歩く2(自由国民社,2002)P.122-P.123

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富山(犬糞看板)鼬川沿い

いたち川沿いの遊歩道は、散歩に最適です。

犬の散歩も多いため、あちこちに犬糞看板が立ってします。

犬糞看板は、町内会によってさまざまです。

「厳禁」と2文字だけの看板。

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富山(石倉町商店街)東新地花柳街への通路

石倉町商店街は、道幅は狭いが、富山の中心地から東新地花柳街への通路にあたるいわゆる「東の道」の繁華の地でした。

終戦後9か月目の昭和21年5月1日、石倉商店街に富山座が開業しました。富山座は、戦前の長い歴史を持つ「新富座」と「大正座」の後を受けて、劇場として21年間も続きました。富山座は、地元富山の自主演劇活動に場所を提供した他、東京の歌舞伎もよくやってきました。もう一つの目はストリップで、昭和23年から空気座の「肉体の門」が来演。俗にパンパン劇といわれ、大衆に迎えられました。

タイルの円柱を持つ建物。

泉橋からみた石倉町商店街。

【参考文献】
*1 原義三郎,中川達:鼬川の記憶(桂書房,2004)P.198-P.203

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